Haruhisa Watanabe
Quick Facts
Biography
渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月25日 - 2012年(平成24年)12月26日)は、日本の冒険家、登山家である。22歳292日で達成した七大陸最高峰登頂は日本人2番目に若い記録であり、現在世界第10位の最年少記録である。
キャリア
静岡県周智郡森町出身。磐田東高等学校に入学。高校2年の冬、自転車で単独日本縦断(静岡〜四国〜岡山)を実現した。九州産業大学芸術学部写真学科に入学後、山岳部に在籍し、本格的に登山を始めた。2002年、シルクロードを旅し、ヘルディンに日本人として初めて登頂した。
世界各地を回る旅をしていた同年9月、アフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂したのを機に、七大陸最高峰登頂を目指すようになり、2003年には、2月に南米アコンカグア、6月に新欧州エルブルース、旧欧州モンブラン、同7月にオセアニアコジウスコと立て続けに登頂した。6月に挑戦したアジアエベレストは、山頂へのアタックを前に見舞われた脱水症状と強風のために断念した。2004年には、1月に南極ビンソンマシフ、5月に二度目の挑戦でエベレストに登頂した。2004年6月12日、北米マッキンリーへの登頂を成功させ、七大陸最高峰への登頂を、2002年に東京大学の山田淳がたてた日本人最年少記録23歳9日を更新し、米国の学生で渡辺の友人でもあったブリットン・キーシャン(Britton Keeshan)が2004年5月24日にたてた当時の世界記録22歳174日に次ぐ22歳292日で達成した。達成後の記者会見では「登山はこれで幕を下ろし、次は大気圏外から青い地球を見たい」と今後の抱負を語った。
2012年(平成24年)12月26日に、ロシア連邦ムルマンスク州南部のカンダラクシャ市郊外の国道M-18(通称コラ道路)路上で自転車に乗っていたところを車に追突されて死亡した。