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Japanese politician
Fukuhara Sentaro
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Japanese politician
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Gender
Male
Birth
Positions
member of the Mie Prefectural Assembly
The details (from wikipedia)
Biography
福原 銭太郎(ふくはら せんたろう、慶応3年2月24日(1867年3月29日) - 昭和13年(1938年)9月26日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。三重県桑名町長、長島村長。
人物
伊勢国桑名郡長島村(現在の三重県桑名市)出身。士族・福原資英の長男として生まれ、1896年に家督を継ぐ。1884年(明治17年)に陸軍士官学校(旧9期)に入学し、1887年(明治20年)に卒業。同年7月歩兵少尉に任官し、陸軍大学校(10期)で学び、日清戦争に出征した。陸軍士官学校教官、参謀本部部員、近衛師団参謀を歴任。日露戦争時には第12師団高級参謀を務め、その後は留守第12師団参謀長、歩兵第68連隊初代連隊長、臨時朝鮮派遣歩兵第1連隊長、第16師団参謀長、第26旅団長を歴任した。1916年(大正5年)8月、独立守備隊司令官に就任し、在任中に鄭家屯事件の対応にあたった。1918年(大正7年)7月24日、中将に昇進と同時に待命となり、翌年1月15日に予備役編入となった。
1920年(大正9年)、桑名町長に選出され、10年間在職した。また1922年(大正11年)には三重県会議員に当選し、2期務めた。その後、1931年(昭和6年)から1933年(昭和8年)まで長島村長を務めた。
栄典
- 位階
- 1890年(明治23年)10月15日 - 正八位
- 1905年(明治38年)4月7日 - 正六位
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位
- 1913年(大正2年)1月30日 - 正五位
- 1918年(大正7年)2月28日 - 従四位
- 1919年(大正8年)2月14日 - 正四位
- 勲章等
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章
親族
- 福原鐐二郎 - 弟。東北帝国大学総長。学習院長。貴族院議員。
- 調所恒徳 - 妻やすの兄
脚注
- ^ 『遺徳顕彰録』pp.176-177
- ^ 福原錢太郞 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 『人物月旦』pp.1-2
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』78頁。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、548頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』80頁。
- ^ 『官報』第2193号「叙任及辞令」1890年10月20日。
- ^ 『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第1671号「叙任及辞令」1918年3月1日。
- ^ 『官報』第1960号「叙任及辞令」1919年2月17日。
- ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
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