Fujio Ishigami
Quick Facts
Biography
石神 富士雄(いしがみ ふじお、1953年8月14日 - )は、福島県出身の元騎手・調教助手。
実子の深一は現騎手。
来歴
1974年3月3日に東京・中村広厩舎からデビューし、中山第12競走5歳以上400万下・ヒメジジョー(14頭中8着)で初騎乗を果たす。同30日の中山第12競走5歳以上400万下・チュウオーモンドで初勝利を挙げ、秋は11月の地元福島開催で3勝と活躍。1年目の同年は6勝をマークし、2年目の1975年には10月25日の東京、12月13日の中山で1日2勝をマークするなど初の2桁となる15勝を記録。1976年には師匠・中村の実子である中村貢厩舎に移籍し、1977年は福島戦8勝を含む13勝をマーク。8勝は春秋4勝ずつ挙げてのものであり、春の4勝中3勝は特別勝ちであった。1978年は9勝と1年目以来の1桁に終わるが、9勝中4勝はゴールデンポートでマーク。同馬では同年のオールカマー3着、1979年の京王杯SHでメジロファントムを抑えて人馬共に唯一の重賞制覇を飾る。1979年から1982年まで4年連続2桁勝利を記録し、1980年の皐月賞では13番人気のハワイアンジュエルで極悪の不良馬場の中を果敢に逃げ、ハワイアンイメージ・オペックホースと接戦を繰り広げた末、モンテプリンスに先着の3着と健闘。1982年には16勝中7勝を新潟戦で挙げ、ベルエアで関屋記念・新潟記念で共に2着が入る。1983年からは1桁台に落ち着くが、1986年は秋の福島で2度の1日2勝を含む5勝と活躍するなど7勝を挙げ、1988年には師匠の中村広厩舎に復帰。1989年には大久保房松の長男である大久保勝之厩舎に移籍するが、1990年には自己最低の1勝に終わる。1991年にはフリーとなり、1992年1月12日の中山第3競走4歳未勝利・ムイビエンが最後の勝利となった。5月2日の東京第10競走箱根ステークス・アームバンガード(15頭中15着)が最後の騎乗となり、同年限りで現役を引退。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 154 | 185 | 194 | 1333 | 1866 | .083 | .182 |
主な騎乗馬
- ゴールデンポート(1979年京王杯スプリングハンデキャップ)
- その他
- ハワイアンジュエル(1980年皐月賞3着)