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Japan
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Danroku Shono
Japanese bureaucrat

Danroku Shono

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese bureaucrat
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Age
95 years
Education
University of Tokyo
Hongō, Bunkyo, Japan
The details (from wikipedia)

Biography

生野 団六(團六、しょうの だんろく、1878年(明治11年)2月1日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の鉄道官僚・技師、土木技術者、鉄道実業家。台湾総督府交通局総長、京浜電気鉄道社長。

経歴

大分県大分郡、のちの稙田村(大分村、大分町を経て現大分市)で生野米蔵の長男として生まれる。大分尋常高等小学校、京都府立中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第四高等学校を経て、1902年(明治35年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業した。

逓信省に入省し鉄道作業局に配属された。1909年(明治42年)欧米に留学し1911年(明治44年)に帰国。鉄道院運輸局に配属され、1912年(明治45年)3月のジャパン・ツーリスト・ビューロー(現日本交通公社)創立に際して幹事に就任。1918年(大正7年)までビューローの実務を担い、木下淑夫が「生みの親」、生野が「育ての親」とされている。1915年(大正4年)鉄道院運輸局庶務課長、1919年(大正8年)東京鉄道管理局運輸課長を歴任。1923年(大正12年)6月、名古屋市電気局(現名古屋市交通局)長に転じた。1925年(大正14年)4月、台湾総督府交通局総長に就任。1927年(昭和2年)4月、東京市電気局(現東京都交通局)長に転じたが、同年12月、西久保弘道東京市長の退任に伴い辞職した。

1928年(昭和3年)12月、京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)副社長、湘南電気鉄道取締役に就任。以後、京浜電鉄社長、湘南電鉄専務を務めた。この間、品川駅への乗り入れ、京浜電鉄全線の改軌、品川-浦賀間の直通運転などを推進した。1941年(昭和16年)5月に京浜電鉄、湘南電鉄を退任した。

戦後は、日本ホテル会社相談役、日本交通公社常任顧問、京浜急行電鉄相談役などを務めた。

著作

  • 述、大日本普通学講習会編『工業大意』嵩山堂、1913年。
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