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China
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Dalima
Chinese politician in the Yuan Dynasty

Dalima

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Chinese politician in the Yuan Dynasty
A.K.A.
Darma
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Gender
Male
Birth
The details (from wikipedia)

Biography

ダルマ(Darma、1279年 - ?)は、大元ウルスに仕えたウイグル人。『元史』などの漢文史料では答里麻(dālǐmá)と記される。

概要

生い立ち

ダルマはテムゲ・オッチギン家に使える書記官サルギスの孫で、幼いころからケシクテイ(宿衛)に入っていた。大徳11年(1307年)に御薬院ダルガチに任じられて以降、回回薬物院・僉湖北山南両道廉訪司事・監察御史といった職を歴任している。

テムデルとの対立

ブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)の治世にテムデルが専権を振るうと、ダルマはイリンチン・馬祖常らとともにその罪を弾劾した。また、テムデルの威を借りるウイグル人僧が違法に婦人を娶った時には自らの不利を顧みずこれを詰問したため、風紀は引き締められたという。その後、河東道廉訪副使の地位に就いた時には、隰州で酔った者を殴り殺したが逃亡した。

至治元年(1321年)、ブヤント・カアンの崩御によるゲゲーン・カアン(英宗シデバラ)の即位を切っ掛けに政界に復帰したテムデルは報復人事を行い、ダルマも職を辞した。至治2年(1322年)、ゲゲーン・カアンとの対立によりテムデルの権勢が衰えると、ダルマは燕南道廉訪副使とされた。ある時、開州ダルガチの石不花歹が有能なのを嫉んだ同僚がこれを告発したが、事情を察知したダルマが尽力し石不花歹は復職できたとの逸話が残っている。

廉訪使時代

泰定元年(1324年)、ゲゲーン・カアンの暗殺(南坡の変)という大事件を経てイェスン・テムル・カアン(泰定帝)が即位すると、ダルマは福建廉訪使に昇格となった。この頃、宦官のバヤンを通じた民からの搾取、宣政院判官が賄賂を取っていることなどを弾劾したと記録されている。

天暦2年(1329年)、クトクト・カアン(明宗コシラ)が急死するとジャヤガトゥ・カアン(文宗トク・テムル)が即位し、ダルマはジャヤガトゥ・カアン政権下で尽力したため、ジャヤガトゥ・カアンは錦衣を下賜してその功績を嘉している。天暦3年(1330年)には淮東廉訪使、至順2年(1331年)には刑部尚書に移った。また、大元ウルスでは新帝の即位後に諸王功臣に金銀を下賜することが通例となっていたが、ダルマはこれを削減するよう進言し、国庫を大いに助けたという。

大元ウルス末期

元統元年(1333年)、遼陽行省参知政事に昇格となった。この頃、高麗国からの使者が遼陽を通過する際には征東行省の印を用いていたが、ダルマは私書に公印を用いるのは許されないと指摘したため、使者は征東行省の印を押した書と布を返したという。

元統3年(1335年)、山東廉訪使に移ったが、この頃山東では盗賊が生じていた。ダルマは官吏の腐敗こそが群盗をもたらしたのだとして先に貪官汚吏を弾劾し、その後に兵を発して盗賊を討伐したため、斉・魯地方は安定した。

その後、大都路留守に任ぜられると、延春閣での宴でウカアト・カアン(順帝トゴン・テムル)より白鷹を下賜された。これより先、ダルマは皇帝より七星堂の修繕を命じられていたが、この年秋に七星堂を訪れた皇帝はその成果に満足し白金50両・錦衣を下賜したという。至正6年(1346年)には河南行省右丞に、至正7年(1347年)には陝西行台中丞とされたが、この時69歳で官を辞した。

高昌偰氏

  • ヨシュムト(Yošmut >堊思弼/èsībì)
    • ビルゲ・ブカ(Bilge buqa >仳理伽普華/pǐlǐgā pǔhuá)
    • ユリン・テムル(Yulïn temür >岳璘帖穆爾/yuèlín tièmùĕr)
      • イトミシュ・ブカ(Itmiš buqa >益弥勢普華/yìmíshì pǔhuá)
      • トドゥンミシュ・ブカ(Tudunmiš buqa >都督弥勢普華/dōudūmíshì pǔhuá)
      • カイジュ・ブカ(Qaiǰu buqa >懐朱普華/huáizhū pǔhuá)
      • トゥルミシュ(Turmiš >都爾弥勢/dōuěrmíshì)
      • バサ・ブカ(Basa buqa >八撒普華/bāsā pǔhuá)
      • フレグ・ブカ(Hülegü buqa>旭烈普華/xùliè pǔhuá)
      • コシャン(Qošang >各尚/gèshàng)
      • カラ・ブカ(Qara buqa >合剌普華/hélá pǔhuá)
        • 偰文質(xiè wénzhì)
          • 偰直堅(xiè zhíjiān)
          • 偰哲篤(xiè zhédǔ)
            • 偰遜(xiè xùn)
              • 偰長寿(xiè chángshòu)
              • 偰延寿(xiè yánshòu)
              • 偰福寿(xiè fúshòu)
              • 偰慶寿(xiè qìngshòu)
                • 偰循(xiè xún)
              • 偰眉寿(xiè méishòu)
          • 偰朝吾(xiè cháowú)
          • 偰列箎(xiè lièchí)
          • 偰玉立(xiè yùlì)
        • 越倫質(Yügrünči >yuèlúnzhì)
          • 善著(shànzhù)
      • トゥケリク・ブカ(Tükellig buqa >独可理普華/dúkělǐ pǔhuá)
      • トレ・ブカ(Töre buqa >脱烈普華/tuōliè pǔhuá)
  • トキシュ(Toqiš >多和思/duōhésī)
    • サルギス(Sargïs >撒吉思/sājísī)
        • ダルマ(Dharma >答里麻/dālǐmá)

脚注

  1. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「答里麻、高昌人。大父撒吉斯、為遼王傅、世祖称其賢。従討李璮、以勲授山東行省大都督。答里麻弱冠入宿衛。大徳十一年、授御薬院達魯花赤、遷回回薬物院、尋出僉湖北・山南両道廉訪司事、召拝監察御史」
  2. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「時丞相帖木迭児専権貪肆、答里麻帥同寅亦憐真・馬祖常劾其罪。高昌僧恃丞相威、違法娶婦南城、答里麻詰問之、奮不顧利害、風紀由是大振。擢河東道廉訪副使。隰州村民賽神、因酔殴殺姚甲、為首者乗鬧逃去、有司逮同会者繋獄、歴歳不決。答里麻曰『殺人者既逃、存亡不可知、此輩皆詿誤無罪而反桎梏耶』。悉縦之」
  3. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「至治元年、帖木迭児復相、以復讎為事、答里麻辞去。明年、改燕南道廉訪副使。開州達魯花赤頗著政績、同僚忌之、嗾民誣其与民妻兪氏飲。答里麻察知兪氏乃八十老嫗、石不花歹実不与飲酒、於是抵誣告者罪、石不花歹復還職。行唐県民斫桑道側、偶有人借斧削其杖、其人夜持杖劫民財、事覚、並逮斧主与盗同下獄。答里麻原其未嘗知情即縦之。深州民媼怒殴児婦死、婦方抱其子、子亦誤触死。媼年七十、同僚議免刑、答里麻不可、曰『国制、罪人七十免刑、為其血気已衰不任刑也。媼既能殺二人、何謂衰老』。卒死獄中。至治元年、除済寧路総管、興学勧農、百廃具修、府無停事。済陽県有牧童持鉄連結撃野雀、誤殺同牧者、繋獄数歳。答里麻曰『小児誤殺同牧者、実無殺人意、難以定罪』。罰銅遣之」
  4. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「泰定元年、陞福建廉訪使。朝廷遣宦官伯顔催督繡緞、横取民財、宣政院判官朮隣亦取賂于富僧、答里麻皆劾之。遷浙西廉訪使。会文宗発江陵、阿児哈禿來諭旨、求賂不獲、還譖于朝、召至京、処以重罪。比至、帝怒解、遷上都同知留守」
  5. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「天暦二年八月、明宗崩、文宗入正大統、使者旁午。答里麻朝暮尽力、事無缺失、帝特賜錦衣以嘉之。天暦三年、遷淮東廉訪使。明年、召拝刑部尚書。国制、新君即位、必賜諸王・駙馬・妃主及宿衛官吏金帛。答里麻曰『必唱名給散、無虚増之数』。国費大省、帝復賜黄金腰帯以旌其能」
  6. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「元統元年、陞遼陽行省参知政事。高麗国使朝京、道過遼陽、謁省官、各奉布四匹・書一幅、用征東省印封之。答里麻詰其使曰『国制、設印以署公牘・防姦偽、何為封私書。況汝出国時、我尚在京未為遼陽省官、今何故有書遺我。汝君臣何欺詐如是耶』。使辞屈、還其書与布」
  7. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「元統三年、遷山東廉訪使。時山東盗起、陳馬騾及新李白晝殺掠。答里麻以為官吏貪汚所致、先劾去之而後上擒賊方略。朝廷嘉納之、即遣兵擒獲、斉魯以安」
  8. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「除大都路留守。帝宴大臣於延春閣、特賜答里麻白鷹以表其貞廉。帝嘗命答里麻修七星堂。先是、修繕必用赤緑金銀装飾、答里麻独務樸素、令画工図山林景物、左右年少皆不然。是歳秋、車駕自上京還、入観之、乃大喜、以手撫壁嘆曰『有心哉、留守也』。賜白金五十両・錦衣一襲」
  9. ^ 『元史』巻144列伝31答里麻伝,「至正六年、陞河南行省右丞、改翰林学士承旨。至正七年、遷陝西行台中丞、時年六十九。致事後、召商議中書平章政事、不拝、全俸優養終身」
  10. ^ B.Ögel 1964 p.152
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