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Japan
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Asai Eiki
Japanese educator

Asai Eiki

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Japanese educator
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Male
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72 years
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Biography

浅井 栄凞(あさい えいき、安政6年10月28日(1859年11月22日) - 1931年(昭和6年)9月30日)は明治時代の日本の教育者。福井県福井中学校助教諭、済々黌教師、熊本英語学会主幹、文部省総務局詰、第五高等学校学寮掛、細川家家扶。五高時代に夏目漱石と同僚だった。

経歴

学生時代

安政6年(1859年)10月28日肥後国熊本安巳橋通2丁目に浅井鼎泉の長男として生まれた。明治4年(1871年)3月古照軒国友昌に入門して漢学を学んだ。1875年(明治8年)熊本県立熊本中学校に入学し、普通学を学んだ。

1878年(明治11年)4月上京して箕作秋坪に入門し、英語を学んだ。1879年(明治12年)6月中村正直の同人社に転学し、1881年(明治14年)12月普通英語学科を卒業した。

教育活動

1882年(明治15年)7月7日福井県福井中学校一等助教諭となり、英語・地理・歴史を教えた。9月12日福井県福井小学師範学校一等助教諭兼福井中学校1等助教諭となったが、1883年(明治16年)5月2日肺病により退職した。

帰郷して泰勝寺邸内で英語を教えると、英語教育の需要の高まりから生徒が殺到し、立田口久本寺に移って英語・漢文・数学を教えた。1883年(明治16年)9月父が設立に関わった私立済々黌で普通学教師となった。1886年(明治19年)8月辞職し、9月私立熊本英語学会主幹を務めた。

1887年(明治20年)12月27日東京で文部省総務局に出仕した。1889年(明治22年)10月3日臨時帝国議会事務局雇となり、26日文部省を辞職した。1890年(明治23年)8月25日貴族院雇となり、9月11日編纂課に勤務した。

1891年(明治24年)7月20日退職し、熊本に帰郷した。持病の胸部疾患が悪化して死を覚悟し、見性禅寺宗般玄芳に笑って死ねる方法を相談すると、白隠禅師『夜船閑話』を渡され、中に記されていた数息観を実践したところ、快復に向かったため、禅に傾倒するようになった。

1895年(明治28年)6月28日第五高等学校英語科授業を嘱託され、学寮掛を兼務したが、授業を受け持っていた記録はない。8月着任した菅虎雄を伴って見性禅寺に参禅し、1896年(明治29年)4月着任した夏目漱石も虎雄の勧めで同寺で打坐を試みた。1897年(明治30年)1月20日学寮係主任となったが、職員と衝突し、3月31日座骨神経痛を理由に退職した。

1898年(明治31年)6月末頃、漱石の妻鏡子が自殺未遂を起こすと、済々黌時代に生徒だった『九州日々新聞』社長山田珠一の下に急行し、記事に取り上げないよう根回しした。

実業の試み

退職後は父鼎泉の第九銀行無限責任社員・監査役となった。葦北郡水俣村の親族の子弟5,6名を生徒に取り、1899年(明治32年)北坪井に家を借りて宏済書院を開き、友人尾関義山の援助を受け、五高時代の同僚黒本稼堂も出講した。

父の死後、1900年(明治33年)第九銀行が倒産すると、債務弁済のため私財を失い、困窮した。安政橋通町に薪炭商を営むも、経営に行き詰まった。

1906年(明治39年)冬頃、父の甥の京城日報社社長阿部充家の斡旋で京城に渡り、太平町の朝鮮家屋で朝鮮人用質屋と郵便所を営んだところ、軌道に乗り、1909年(明治42年)4月家族を呼び寄せた。10月6日には『満韓ところどころ』の旅行中の夏目漱石の訪問を受けた。

細川家時代

1909年(明治42年)10,11月頃帰国し、細川護成の招きで細川家家扶となり、横手村北岡の家政所(細川家霊廟)に住み込んだ。1911年(明治44年)頃、胃腸を患い静養した。

1912年(大正元年)秋、小石川区老松町の東京家政所に移った。細川護立の代には赤坂区新坂町別邸で家政監督を務め、箱根山登山にも同行したほか、一条家と京都大徳寺・妙心寺・円福寺にも参禅した。

1930年(昭和5年)退職して帰郷し、黒髪町小磧橋畔に知足庵を営んだが、1931年(昭和6年)9月30日脳溢血で死去した。法名は一枝庵霊山自哲居士。

訳書

人物

無口で地味な人物だった。生来病弱なため、顔色が「うらなりの唐茄子」のように青黄色だった。漱石著『坊つちやん』ではうらなりに顔色が似ている人物として「浅井のおやぢ」が名前のみ登場するほか、『虞美人草』にも浅井姓の人物が登場し、漱石の潜在意識に栄凞の存在があったとも考えられる。

家では正座を崩さず、酒・煙草も飲まず、寝る前には読経を欠かさないなど、禅僧のような生活を送った。居士号は自哲。漱石からは吟行を習ったほか、古市宗安から肥後古流茶道を学び、茶会を開催する時には自ら魚河岸で魚を購入し、襷掛けで料理した。シェイクスピア作品を多数所蔵していた。

書斎に父譲りの王治本筆「環翠舎」の額を掲げていたところ、五高時代の同僚黒本稼堂がこれを気に入らず、旧藩儒片岡朱陵筆「交翠園」の額を渡されたため、これを掲げて交翠園主人と号した。

家族

  • 父:浅井鼎泉 - 熊本藩重臣、細川家家扶。
  • 母:寺井氏
  • 弟:中村友雄 - 宇留毛で牧場を経営した。
  • 妹:真寿(まじゅ) - 熊本県立熊本高等女学校初代校長会田由義妻。
  • 妻:政(まさ)
  • 長男:栄名(よしな)
  • 三男:浅井栄資(よしすけ) - 東京商船大学長、日本海技協会長。
  • 孫:浅井栄暢(よしのぶ) - 二本木で開業医を営む。
  • 女中:とめ – 夏目家にも出仕した。
  • 女中:とよ – とめの妹。新屋敷裏で駄菓子屋を営んだ。

脚注

  1. ^ 原武 1981, p. 2.
  2. ^ 原武 1981, p. 8.
  3. ^ 佐々友房「済々黌歴史」『創立三十周年記念 多士』鹿島浩、1912年6月。NDLJP:812727/59 
  4. ^ 原武 1981, p. 3.
  5. ^ 原武 1981, pp. 5–6.
  6. ^ 原武 1981, p. 19.
  7. ^ 原武 1981, p. 5.
  8. ^ 原武 1981, p. 6.
  9. ^ 黒本 1932, p. 11.
  10. ^ 原武 1981, p. 1.
  11. ^ 原武 1981, p. 15.
  12. ^ 原武 1981, p. 4.
  13. ^ 原武 1981, p. 17.
  14. ^ 井上 2003.
  15. ^ 原武 1981, p. 20.
  16. ^ NDLJP:896895
  17. ^ 原武 1981, p. 21.
  18. ^ 黒本 1932, pp. 11–12.
  19. ^ 原武 1981, p. 10.
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