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Akizuki Taneshige

Akizuki Taneshige

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Biography

秋月 種茂(あきづき たねしげ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。日向国高鍋藩7代藩主。剃髪後の号は鶴山。名君と呼ばれた米沢藩主上杉鷹山の兄に当たるが、種茂もまた高鍋藩史上の名君とされている。

生涯

寛保3年(1744年)、6代藩主・秋月種美の長男として誕生した。宝暦6年(1756年)11月15日、9代将軍・徳川家重に御目見する。宝暦7年12月18日(西暦で1758年)、従五位下・山城守に叙任する。宝暦10年(1760年)7月8日、種美の隠居により家督を継ぐ。宝暦11年(1761年)4月18日、初めてお国入りする許可を得る。

藩主になると藩政改革に臨んだ。改革に必要なものは人材登用であると考え、安永7年(1778年)に藩校明倫堂を創設し「教育の高鍋藩」の基礎を築いた。このとき、種茂は藩校に通える者を武士だけに限らず、民百姓に対しても開いた。この明倫堂からは、明治時代に活躍する多くの人材(三好退蔵、秋月左都夫、石井十次)が出ている。また、大坂から優秀な産婆を呼び寄せ、安全な出産方法を藩内に普及させるとともに、日本で初めて子供手当を支給するなど、現代でいう児童福祉にも心を配り、財政再建政策も行った。

名君として名をはせた弟の上杉鷹山は、「私の知識と才覚は到底兄に及ぶものではない。私が世に名前を知られるようになったのは、単に名門である上杉家と米沢藩という大きな藩を継いだからにすぎない」と種茂を称賛している。天明8年(1788年)11月6日、家督を長男の種徳に譲って隠居したが、なおも藩政の実権は握り続けた。

文政2年(1819年)11月6日、死去。享年77。

系譜

  • 父:秋月種美(1718-1787)
  • 母:春姫 - 黒田長貞の次女
  • 正室:盈子 - 松平明矩の娘
    • 長男:秋月種徳(1763-1808)
    • 次男:黒田長舒(1765-1807) - 黒田長堅の養子
    • 五男:秋月種備(1766-1793) - 秋月種穀の養子
  • 生母不明の子女
    • 女子:ケイ - 山田重礼室
    • 女子:チセ - 中村道義室
    • 男子:岩次郎 - 早世
    • 男子:常三郎 - 早世
    • 男子:松五郎 - 早世

脚注

  1. ^ 後に上杉鷹山もこれと同じ制度を米沢藩に導入している。
秋月氏高鍋藩7代藩主 (1760年 - 1788年)
秋月氏高鍋藩7代藩主 (1760年 - 1788年)
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