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militair
张厚琬
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A.K.A.
張厚琬
Work field
Gender
Male
Birth
Family
Father:
Zhang Quan
The details (from wikipedia)
Biography
本来の表記は「張厚琬」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 |
張 厚琬(ちょう こうえん)は中華民国の軍人・政治家。字は忠蓀。張之洞の孫(長男の子)。張燕卿や張仁蠡は叔父にあたるが、厚琬の方が年上である。
事績
清末に日本へ留学し、1911年(宣統3年)に陸軍士官学校第8期砲兵科を卒業した。帰国後の1912年(民国元年)12月に、北京陸軍大学教務長に就任している。その後、奉天派に属し、1922年(民国11年)には東省巡閲使署参謀処長などを歴任した。
1924年(民国13年)11月、張厚琬は北京政府で陸軍部次長に抜擢されている(翌年12月まで在任)。1926年(民国15年)7月、航空署督弁に任命され、翌年6月、航空署が北京政府軍事部に帰属したことに伴い、航空次長に転じた。同年、奉天市の陸軍講武堂で教務長に就任、後に校長に昇進している。その後、中東鉄道路警処処長に転じた。
国民政府による統一後の1932年(民国21年)4月、張厚琬は軍事委員会委員長侍従室高級参謀に就任した。1934年(民国23年)11月、河北省政府委員兼民政庁庁長に任ぜられ、省政府主席の于学忠を補佐している。翌1935年(民国24年)6月、河北省政府主席代理を務めたが、まもなく梅津・何応欽協定(何梅協定)が影響して于が罷免されたため、張も辞任を余儀なくされた。
これ以降、張厚琬の動向は不詳となっている。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)(国民政府)
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