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was | Politician | ||
Work field | Politics | ||
Gender |
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Birth | 1849 | ||
Positions Held |
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Biography
山中 幸義(やまなか ゆきよし、1849年3月12日(嘉永2年2月18日)- 1899年(明治32年)3月19日)は、明治期の内務官僚、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・麟趾、麟司。
経歴
豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡高家村(四日市町を経て現宇佐市)で山中柳平の四男として生まれ、従兄弟・山中幸左衛門の養子となる。
漢籍を鷺海量容、広瀬林外に師事した。1868年(明治元年)澤宣嘉九州鎮撫総督が長崎に着任後、それに従い戊辰戦争に従軍した。その後、慶應義塾で学んだ。
1873年(明治6年)6月、司法省十三等出仕となり、同年7月、権少解部に就任。1874年(明治7年)3月、内務省に転じ新治県少属となる。以後、茨城県少属、千葉県少属、同県三等警部権中属、六等警視属、内務五等属、検事補、内務属判任官二等などを歴任。1884年(明治17年)9月、三重県安濃郡長兼奄芸・河曲郡長に就任。その後、山梨県警部長、和歌山県警部長、大分県警部長を務め、1897年(明治30年)5月に退官した。
1897年9月、農工銀行設立委員に就任。同年5月、貴族院多額納税者議員選挙で互選され、同年9月29日に就任し、1899年の第13回帝国議会会期中に倒れ、東京の宿舎で同年3月に死去した。