Biography
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Birth | 786 | ||||
Death | 6 September 846 | ||||
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Biography
藤原 吉野(ふじわら の よしの)は、平安時代初期の公卿。藤原式家、参議・藤原綱継の長男。官位は正三位・中納言。
経歴
式家出身の母(藤原百川の娘・旅子)を持つ淳和天皇とは同年齢で親しく(天皇の乳母子とする説もある)、その生涯を天皇の為に捧げる事になる。
若くして大学で学び、嵯峨朝にて主蔵正次いで春宮少進として、当時皇太子であった大伴親王(後の淳和天皇)に仕える。弘仁10年(819年)従五位下・駿河守に叙任、国司として治績をあげて頭角を現す。
弘仁14年(823年)淳和天皇の即位後は都に呼び戻されて、天皇の側近として左近衛少将・左少弁を歴任し、天長3年(826年)には蔵人頭となって天皇の政務を助けた。この間に天長元年(824年)従五位上、天長3年(826年)正五位下、天長4年(827年)には従四位下に昇叙と、急速に昇進を果たす。天長5年(828年)には参議として公卿に列すと、天長9年(832年)には従三位・権中納言に叙任され、右近衛大将・春宮大夫も兼任した。
淳和天皇から仁明天皇への譲位に前後して、正三位・中納言に叙任されるが、専ら淳和上皇の傍につき従った。承和7年(840年)に淳和上皇が危篤となり、「自分の遺骨は山から散骨せよ」と遺言すると、吉野はそれに反対したが、間もなく上皇が崩御すると、吉野はやむなくその指示を実行した。こののち、上皇の子である皇太子・恒貞親王の為に尽くすために、1年間出仕せず再三に亘って辞職の上表を行うが、仁明天皇の慰留を受けて中納言の地位に留まっている。
だが、承和9年(842年)7月の嵯峨上皇の崩御後まもなく、恒貞親王や吉野らは謀反の疑いをかけられてしまう。結局、恒貞親王は廃太子とされ、吉野は大宰員外帥に左遷させられた(承和の変)。さらに承和12年(845年)には大宰員外帥を解かれて、山城国に移されるが入京は許されず、承和13年(846年)8月12日に失意の内に病没した。享年61。最終官位は散位正三位。
人物
性格は寛大・柔和で包容力があり、人々から慕われた。賢人を見て同じくあろうと思い、手から書物を手放さず、目下の者からも進んで教えを受ける一方、師弟にも教え諭したという。他人の過失を見ても決して白眼視せず、議論するに至っても、法に違う事の主張はしなかった。両親に孝行してほんの僅かな間でも欠けることがなく、忠と孝の道を共によく励んだ。
住まいには樹木を植える事を好み、その様子は竹を愛した東晋の文人・王徽之を彷彿させたという。
逸話
吉野の孝行心を示す逸話として以下がある。
- 吉野が朝廷に出仕して留守の間に、吉野の家に新鮮な肉があるという話を聞きつけて父・綱継が人を遣わせてその肉を求めたが、料理人が惜しんで肉を分け与えなかった。吉野が後にこの話を聞き、料理人を詰って涙を流し、以降決して肉を食べなかったという。
官歴
注記のないものは『六国史』による。
- 時期不詳:主蔵正
- 弘仁4年(813年) 日付不詳:美濃少掾
- 弘仁7年(816年) 春:春宮少進(春宮・大伴親王(のち淳和天皇))
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁10年(819年) 1月7日:従五位下。1月10日:駿河守
- 弘仁14年(823年) 5月13日:中務少輔。9月16日:左近衛少将
- 天長元年(824年) 1月7日:従五位上。5月21日:左少弁
- 天長2年(825年) 日付不詳:兼伊予守。日付不詳:畿内巡察使
- 天長3年(826年) 1月21日:兼伊勢守。2月:蔵人頭。8月13日:正五位下
- 天長4年(827年) 1月21日:従四位下。2月:皇后宮大夫。3月:右兵衛督
- 天長5年(828年) 閏3月13日:右兵衛督。5月27日:参議
- 天長6年(829年) 2月22日:式部大輔
- 天長7年(830年) 5月5日:春宮大夫(春宮・正良親王(のち仁明天皇))。8月4日:正四位下、右近衛大将、大夫如元
- 天長9年(832年) 1月11日:美作守。2月26日:伊予守。11月2日:従三位、権中納言
- 天長10年(833年) 3月6日:正三位(仁明天皇即位)。3月15日:右近衛大将辞任(淳和天皇退位による)
- 承和元年(834年) 2月5日:中納言
- 承和9年(842年) 7月23日:大宰員外帥(承和の変)
- 承和12年(845年) 3月25日:解大宰員外帥、遷配山城国
- 承和13年(846年) 8月12日:薨去(散位正三位)
系譜
- 父:藤原綱継
- 母:藤原姉子(藤原蔵下麻呂の娘)
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原近峯
- 男子:藤原真峯
- 三男:藤原近主
- 四男:藤原良近(823-875)
- 男子:藤原延命