Yokobori Sanshi

27 Oct 1852 - 24 Mar 1914
The basics

Quick Facts

Intro27 Oct 1852 - 24 Mar 1914
PlacesJapan
wasPolitician
Work fieldPolitics
Gender
Male
Birth1852
Positions Held
member of the House of Representatives of Japan
member of the Tochigi Prefectural Assembly
The details

Biography

横堀 三子(よこぼり さんし、1852年10月27日(嘉永5年9月15日)- 1914年(大正3年)3月24日)は、明治時代の政治家、台湾総督府官僚。自由民権運動家。衆議院議員(4期)。旧姓・土屋、諱・龍、字・雲卿、号・鉄研、通称・三子。

経歴

下野国那須郡黒羽(黒羽県、栃木県那須郡黒羽町を経て現大田原市)で、黒羽藩士土屋新二郎の二男として生まれ、のち同国大田原藩領芳賀郡祖母井村(祖母井町を経て現芳賀町)に移り住む。幼くして大田原藩の儒臣・金枝柳村の門に入り漢籍を修める。1874年(明治7年)横堀源平の養子となり、1876年(明治9年)3月1日家督を相続した。1878年(明治11年)芳賀郡書記を経て、1879年(明治12年) 栃木県会議員に当選し、同議長を務め、常置委員、地方勧業諮問会員、地方衛生会員などを歴任した。自由民権運動に加わり、1880年(明治13年)下野有志共同会が設立されると総部長に就任し、塩田奥造と共に国会請願捧呈委員となった。のち芳賀郡長、台湾総督府台中県苗栗支庁長、同県書記官などを歴任した。

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では栃木県第1区から出馬し当選。第2回から第6回総選挙まで星亨らと戦って落選が続いた。その後、第7回、第8回、第9回総選挙では当選し衆議院議員を通算4期務めた。

親族

  • 妻 横堀もん(養父長女)
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