Yang Guk-jin
South Korean military personnel
Intro | South Korean military personnel | |||
Places | South Korea | |||
was | Soldier Military personnel | |||
Work field | Military | |||
Gender |
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Birth | 20 September 1916, Pyongyang, North Korea | |||
Death | 1981Incheon, South Korea (aged 64 years) | |||
Star sign | Virgo | |||
Education |
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楊 国鎮(ヤン・グクチン、楊國鎭、양국진)は大韓民国の軍人。本貫は南原楊氏。創氏改名時の日本名は中原國鎭。
1916年、平壌に生まれる。1937年3月、中央陸軍訓練処経理養成部に入学。1938年12月、中央陸軍訓練処第6期卒業。新京の陸軍軍需学校第2期卒業。1942年3月、軍需中尉。
1945年8月17日、菅野弘の助けにより朴承煥や崔昌崙と共に飛行機でソウルに帰還。
1946年1月、軍事英語学校卒業、中尉に任ぜられる(軍番10006番)。同年1月4日、陸軍本部軍需課長。1948年7月15日、陸軍本部監察監。1949年1月3日、大領昇進と同時に陸軍本部軍需局長。
1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると軍需支援を担当し、金一煥や白善鎮と共に功労者として挙げられている。同年9月、准将。1951年5月26日、陸軍本部行政参謀副長。
1952年、第2軍団副軍団長。同年9月、任少将。1954年にアメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業し、陸軍本部行政参謀副長を務める。1955年に第2訓練所長、1957年7月、第1軍団長(中将)。1959年7月6日、第3軍団長。1960年4月、不正蓄財の容疑で拘束される。
釈放後、予備役に編入され、1962年に懲役10年の判決が下された。
1966年に大韓綜合食品会社副社長となり、翌年、同社長を務めた。
1981年、64歳没。
2008年4月29日に民族問題研究所と親日人名辞典編纂委員会が発表した親日人名辞典収録対象者軍部門に記載。
軍職 | ||
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先代 - 崔泓熙 | 大韓民国陸軍本部軍需局長 初代:1946.1.4 - 1946.8.1 第5代:1949.1.3 - 1951.5.26 | 次代 劉載興 姜英勲 |
先代 呉東起 | 大韓民国陸軍本部監察監 第2代:1948.7.15 - 1949.1.3 | 次代 安椿生 |
先代 金白一 | 大韓民国陸軍本部行政参謀副長 1951.5.26 - 1952.11 | 次代 申應均 |