柳生 俊順(やぎゅう としむね)は、大和柳生藩の第12代藩主。
高家旗本の武田信之の次男。嘉永3年(1850年)11月5日、先代藩主の柳生俊能が死去すると、その養嗣子となって跡を継いだ。嘉永4年12月16日、従五位下対馬守に叙任する。後に但馬守に改める。半蔵口御門番を務めた。文久2年(1862年)7月24日、27歳の若さで死去した(幕府には閏8月3日死去と届けられた)。跡を弟で養嗣子の俊益が継いだ。