Biography
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Quick Facts
Politician | |||||||||
Work field | Politics | ||||||||
Gender |
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Birth | 528 | ||||||||
Death | 549 | ||||||||
Family |
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Biography
蕭 方等(しょう ほうとう、528年 - 549年)は、南朝梁の皇族。武烈世子。字は実相。
経歴
湘東王蕭繹の長男として生まれた。母は徐妃。若くして明敏で、才能にすぐれ、騎射を得意とし、精緻な思考に長じていた。森林や泉を愛し、特に散策を好んだ。「人が生きて世にいるのは、白駒が隙間を通り過ぎるようなものである。一壺の酒が性を養うにもって足り、一簞の食が形をよろこばせるにもって足る」と書いて論じた。かつて徐妃が妬みのために蕭繹の寵愛を失い、方等は不安を抱いた。蕭繹がこれを聞くと、方等を憎んだため、方等はますます恐れて、自分の考えを論述した。
太清2年(548年)、武帝が諸王の長男との面会を望んだため、蕭繹は方等を建康に派遣した。方等は舟で長江を下り、繇水に達した。ちょうど侯景の乱が起こったため、蕭繹は方等に帰るよう命じたが、方等は「むかし晋の太子申生がその死を惜しまなかったというのに、方等がどうしてその生を顧みることができましょうか」と返事した。蕭繹は返書を見て方等に帰る意志がないと知ると、兵1万を建康の援軍として送った。反乱軍の攻勢に対して、方等は自身を矢石にさらして戦った。
太清3年(549年)、台城が陥落すると、方等は荊州に帰り、兵馬を集めた。方等は人々の一体感を作りだすことができたため、蕭繹ははじめてその能力に感心した。方等は城柵の修築を勧めて、防備を怠ることがなかった。城柵が完成すると、城の楼閣と女牆が互いに見え、周回は70里あまりに及んだ。蕭繹はこれを見て喜び、「もしさらに一子があってこのような人物であれば、わたしは何の心配もないだろうに」と徐妃に言った。徐妃は答えず、涙を流して引き下がった。蕭繹はこれに怒って、徐妃の醜行を書いて大閣に掲示した。方等がこれを見ると、ますます自らを危険にさらすようになった。
ときに河東王蕭誉が湘州刺史となったが、蕭繹の命令を受け入れなかった。方等は蕭誉を討つ任務に志願して、蕭繹はこれを許可した。方等は都督に任じられ、精兵2万を率いて南進した。方等の軍が麻渓に達すると、蕭誉は軍を率いて迎撃し、方等は戦い敗れて溺死した。享年は22。侍中・中軍将軍・揚州刺史の位を追贈された。諡は忠壮世子といった。元帝(蕭繹)が即位すると、武烈世子と改諡された。編著に『三十国春秋』および『静住子』があり、当時に通行した。
子に蕭荘があった。
伝記資料
- 『梁書』巻44 列伝第38
- 『南史』巻54 列伝第44
蕭整 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南朝斉 | 蕭雋 | 蕭鎋 | 南朝梁 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蕭楽子 | 蕭副子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宣帝 0蕭承之 | 蕭道賜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
景帝 0蕭道生 | 高帝 0蕭道成 | 文帝 0蕭順之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明帝 蕭鸞 | 武帝 蕭賾 | 長沙王 蕭懿 | 武帝 蕭衍 | 臨川王 蕭宏 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東昏侯 蕭宝巻 | 斉皇帝 蕭宝寅 | 和帝 蕭宝融 | 文帝 蕭長懋 | 閔帝 蕭淵明 | 昭明帝 蕭統 | 簡文帝 蕭綱 | 元帝 蕭繹 | 武陵王 蕭紀 | 臨賀王 蕭正徳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鬱林王 蕭昭業 | 海陵王 蕭昭文 | 安帝 蕭歓 | 宣帝 蕭詧 | 哀太子 蕭大器 | 武烈世子 蕭方等 | 愍懐太子 蕭方矩 | 敬帝 蕭方智 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豫章王 蕭棟 | 明帝 蕭巋 | 河間王 蕭巌 | 永嘉王 蕭荘 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
煬愍皇后 蕭氏 | 後主/靖帝 蕭琮 | 河間王 蕭璿 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
梁皇帝 蕭銑 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||