Tosa Mitsuzane
Artist
土佐光孚(とさ みつざね/とさ みつたか、安永9年4月24日(1780年5月27日) - 嘉永5年4月5日(1852年5月23日))は、江戸後期の土佐派の画家。土佐派別家の初代土佐光貞の長男。幼名は虎若丸、字は子正、号は鶴皐。御園玄蕃頭の三男を養子にしたという。
10歳の時、幼少ながら父と共に新造内裏清涼殿の布障子に墨画名所図、仙洞御所小書院床張付小襖に花鳥を描く。文政元年(1818年)には大嘗会悠紀主基屏風を描いた。禁裏絵所を勤め、寛政2年(1790年)従六位上、備後介、同9年正六位下、享和4年(1804年)従五位下、文化3年(1806年)土佐守、同8年(1811年)従五位上、文政元年(1818年)正五位下、同12年(1829年)従四位下、天保11年(1840年)従四位上、嘉永5年(1852年)正四位下に叙せられた。『平安人物志』文化十年版から嘉永五年版まで登場し、寺町丸太町に住んだ。嘉永5年(1852年)歿、73歳。子に土佐光清。墓は知恩寺(京都市東山区)にある。