Tōru Watanabe

Bureaucrat, businessman and politician of the Meiji period Japan
The basics

Quick Facts

IntroBureaucrat, businessman and politician of the Meiji period Japan
A.K.A.Watanabe Toru Watanabe Tōru Toru Watanabe
A.K.A.Watanabe Toru Watanabe Tōru Toru Watanabe
PlacesJapan
wasPolitician
Work fieldPolitics
Gender
Male
Birth1841, Takefu, Fukui Prefecture, Japan
Death19 October 1913 (aged 72 years)
The details

Biography

渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年(天保12年8月) - 1913年(大正2年)10月19日)は、幕末の勤王家、明治期の内務官僚、政治家、実業家。茨城県参事、御影町長、衆議院議員。幼名・政吉、後左衛門、又衛。

経歴

越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・渡辺良右衛門の三男として生まれ、のち大坂の国学者・渡辺資政の養子となる。剣鎗銃砲の術を修めた。幕末の国事に奔走し、錦小路頼徳に仕え、七卿落ちの際にも随行し、錦小路死去後に東久世通禧に仕えた。

明治維新後、神奈川府巡察補に就任。以後、同巡察、神奈川県少参事、五條県大参事、甲府県権大参事、租税寮七等出仕、秋田県参事などを歴任。

明治5年8月25日(1872年9月27日)茨城県参事に就任。県庁租税課に開産係を設置し農政を所管させ、水戸藩士族に開墾を、水戸の富商に会社設立などを勧め、また、水戸に種痘局を置いた。1873年2月22日に依願免本官となる。また同時に理由は不明であるが位記返上を命ぜられた。一年半を経て長崎県参事として復帰し、1877年1月に退官した。その後、兵庫県武庫郡長兼菟原郡長、飾東郡長兼飾西郡長、明石郡長、御影町長などを歴任。

さらに醸造業を起こし、灘酒家銀行頭取、全国酒造業者組合連合会長、神戸貯蓄銀行頭取、日本酒造火災保険 (株) 社長などを務めた。

1892年2月、第2回衆議院議員総選挙に兵庫県第二区から出馬し当選したが、同年12月1日に議員を辞職した。

脚注

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』727頁。
  2. ^ 『新編日本の歴代知事』235頁。
  3. ^ 『茨城県政と歴代知事』24-25頁。
  4. ^ 「渡辺徹特旨叙位ノ件」
  5. ^ 『官報』第2830号、明治25年12月2日。
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