Biography
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Quick Facts
Intro | Japanese politician | |||
Places | Japan | |||
was | Politician | |||
Work field | Politics | |||
Gender |
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Birth | 12 September 1914, Hiroshima, Japan | |||
Death | 15 November 1999 (aged 85 years) | |||
Star sign | Virgo | |||
Politics: | Liberal Democratic Party | |||
Education |
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Biography
友納 武人(とものう たけと、1914年9月12日 - 1999年11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。
来歴・人物
府立六中・府立高等学校 (旧制)を経て、1937年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、厚生省に入省。保険課長時代には戦後の健康保険再建に尽力、支払基金制度を設置し社会保険を守った。現在の健康保険制度設立の親ともいわれる。
1951年に柴田等千葉県知事に招かれて、副知事に就任。その次の加納久朗知事時代にも留任したが、1963年に加納知事の急死に伴い後任を決める知事選に出馬し当選、以降1975年まで3選を果たした。副知事時代から、東京湾を大規模に埋め立てて京葉工業地帯の礎を築き、当時は農業県だった千葉県民の大きな雇用や東京ディズニーランドを含む今日に至る千葉県の発展を築くなど、「開発大明神」の異名をとり「千葉県中興の祖」という評価が根強い。
その一方で、東京湾埋め立てをめぐる三井不動産社長・江戸英雄との繋がりを始めとした土建業との癒着や川鉄公害訴訟などの環境破壊が起き住民からの反発も招くなど、房総半島の破壊をもたらした人物という批判も強い。
千葉県知事就任直後から新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設問題が浮上し(後に成田空港問題)、新東京国際空港建設位置変更(現在の成田国際空港がある三里塚地区)にも関与した。土地収用法に基づき、1971年には三里塚闘争のヤマ場となった成田空港予定地の代執行で知事権限を発動した。このため第1次行政代執行の時、空港反対同盟少年行動隊(中学生以下で組織)が「友納を地獄へ送れ」というスローガンを立て看板に大書きして機動隊を出迎えた。これは成田闘争関連の写真集や当時の報道写真、ニュース映像では必ずと言って良いほど写っていた。衆議院議員に転身後の1984年11月27日には、三里塚芝山連合空港反対同盟を支援する中核派に事務所を放火されている。
知事退任後の1976年、旧千葉4区から総選挙に立候補して当選、途中1回の落選を経て4期務めた。福田派→安倍派に属し、1990年に引退。
エピソード
- 新東京国際空港建設地決定に前後して、友納は頻繁に京成電鉄のヘリコプターで富里・酒々井・三里塚周辺を見て回った。帰りの道中、「あれを取り上げるのは無理だよな。絶対ダメだよな」と独り言ちていた。江口榛一の協力を得て接触するなど、三里塚芝山連合空港反対同盟代表の戸村一作とは対話を模索しており、秘密のホットラインの電話番号も教えていたといわれるが、成田デモ事件で負傷した戸村は態度を硬化し、新左翼勢力と合同した三里塚闘争は過激化することとなった。
- 東京ディズニーランドの建設をめぐって、当時オリエンタルランド専務であった高橋政知(のち同社社長)と100万坪という巨大すぎる土地払い下げの請求、及び膨大な埋め立て工事費の委託問題などで度々ぶつかった(詳細は高橋政知の項)。特に工事費の委託問題では、訪ねてきた高橋に友納は 「前例が無いのでお断りする。いやしくも千葉県政の責任は一身知事であるこの友納にある!!! 私が委託せんと言ったら、絶対委託せん!!!」と啖呵を切ったが、「そんなくだらない返事を聞きにきたのではない!!!」と逆に高橋に怒鳴りつけられ、友納の顔は真っ青になった。その後、高橋の上司であった川﨑千春から一席もうけられ、友納と高橋は同じ東京帝大法学部の出身で、同じ時期に同じ教授の講義を受けたことで友納が少し機嫌を直し、一応の和解をみた(最終的には友納が折れた形となり、東京ディズニーランドの建設は進められた)。またこの反動からか、友納を退ける形で次の知事となった川上紀一と高橋は、盟友として結びつくことになった。
- 1980年の総選挙では217,490票を獲得、これは当時の衆議院選挙史上最高得票であった(その後、第37回衆議院議員総選挙で田中角栄が220,761票を獲得、記録を更新している)。
- 新東京国際空港(現・成田国際空港)の反対運動(三里塚闘争)を題材にしたフィクション漫画『ぼくの村の話』(尾瀬あきら作)では、「友名」知事として描かれている。
親族
国際航業会長の友納春樹は弟。
栄典
勲二等旭日重光章
脚注
注釈
出典
- ^ “友納 武人(トモノウ タケト)とは”. コトバンク. 2020年4月18日閲覧。
- ^ 『エコノミスト』、毎日新聞社、1979年8月7日号、81-82頁
- ^ 『エコノミスト』、1979年8月14、21日号、133頁
- ^ 稲毛新聞2003年2月号、稲毛新聞2007年7月号
- ^ 高度成長期の自治体と計画 千葉大学法学論集第25巻第1号(2010)
- ^ 稲毛新聞2003年12月号
- ^ 『週刊新潮』1981年4月16日号-140-143頁
- ^ 三井不動産株式会社 社長 江戸英雄:3ページ-先駆者たちの大地
- ^ 『腐臭列島房総半島の闇』、本澤二郎著、データ・ハウス、2001年1月。
- ^ 稲毛新聞2004年8月号
- ^ 第16話 空港・閣議内定(1) - 旗旗
- ^ ニュースボックス1971(昭和46)年2月22日 成田空港用地の強制代執行を開始
- ^ 原口和久 (2000). 成田空港365日. 崙書房. p. 243
- ^ 佐藤文生 (1978). はるかなる三里塚. 懇談者. pp. 45-46
- ^ 友納武人 (1981). 疾風怒濤 県政二十年のあゆみ. 社会保険新報社. p. 201
- ^ D.E.アプター (1986). 三里塚 もうひとつの日本. 岩波書店. p. 162
- ^ 東京新聞千葉支局/大坪景章 編『ドキュメント成田空港』東京新聞出版局、1978年、81頁
- ^ 日本経済新聞『私の履歴書 高橋政知』、1997年7月 - 8月
- ^ 尾瀬あきら『ぼくの村の話 1巻』講談社、東京都、1992年、154頁。ISBN 978-4-06-328305-1。「第7話 強権」