Takeo Moribe

Japanese missionary
The basics

Quick Facts

IntroJapanese missionary
PlacesJapan
wasCleric Missionary Pastor
Work fieldReligion
Gender
Male
Birth23 June 1893
Death25 July 1930 (aged 37 years)
Star signCancer
The details

Biography

物部赳夫(ものべ たけお、1893年6月23日 - 1930年7月25日)は日本ホーリネス教会ブラジル宣教師である。ブラジル福音ホーリネス教団の生みの親とされている人物。

長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)の万福寺の住職の次男として生まれる。東京鉄道学校で学び、国鉄に就職する。1915年、同僚の死を通して、求道を始め、同県上諏訪町(現諏訪市)の福音伝道館に通い、高橋俊三に導かれて、中田重治より洗礼を受ける。

1917年に聖会で献身を決意する。1918年に柏木聖書学院に入学する。1919年に卒業して物部さよと結婚して物部姓になり、小樽教会に赴任する。1922年に品川教会に転任する。

1925年にブラジル伝道を決意し、7月に日本ホーリネス教会最初の宣教師として、ブラジルのサントスに行く。その後、サンパウロ、パラナ、ミナスなどを回り、12箇所に伝道の拠点を作る。

1927年に妻子を呼び寄せ、サンパウロに定住する。

1929年には中田重治監督と湯浅十郎を迎えて、リンスに教会を形成する。湯浅が牧師に就任する。翌1930年に奥地の開拓伝道を行い、肝臓癌で死去する。遺体は、レデンプトルに葬られた。死後、物部のいたサンパウロの町はタケオ・モノベという名前になった。

The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 09 Apr 2024. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.