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Places | Japan | ||
Gender |
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Birth | 1202 | ||
Death | 12 October 1279 (aged 77 years) | ||
Family |
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The details
Biography
四条 隆親(しじょう たかちか)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿・歌人。大納言・四条隆衡の二男。官位は正二位・権大納言。善勝寺長者(四条家当主)。
経歴
父・隆衡は平清盛の外孫にあたるが、母(坊門信清の娘)の姉妹は3代将軍・源実朝の正室でもあった。
元久2年(1205年)従五位下に叙爵。貞応元年(1222年)8月に蔵人頭、元仁2年(1225年)に参議、寛喜3年(1231年)権中納言、貞永元年(1232年)正二位、嘉禎1年(1235年)中納言、同4年(1238年)権大納言となる。後鳥羽上皇、後堀河天皇の近臣。妻の足利能子(足利義氏の娘)は土御門天皇の第七皇子・邦仁王の乳母であったが、仁治3年(1242年)正月、四条天皇が崩御した際、鎌倉幕府の意向で邦仁王が次期天皇として擁立され、隆親の冷泉万里小路第で後嵯峨天皇として践祚、能子は典侍となった。宝治元年(1247年)に中宮大夫を兼ね、宝治2年(1248年)には皇后宮大夫を兼任した。建長2年(1250年)、大納言となる。文応元年(1260年)、大納言を辞職したが、嫡子とした隆顕とは不仲で、結局、建治2年(1276年)に、隆顕は権大納言を辞職、出家し、隆親が大納言に還任した。四条家嫡流は長男・房名の系統となり、隆顕の系統は後に南朝に与して絶家となる。
弘安2年(1279年)9月6日、78歳で薨去。料理の名人であり、『宝治百首』にも「塩釜」を歌枕に詠んだ歌を採られた歌人でもあった。
系譜
- 父:四条隆衡
- 母:坊門信清の娘
- 妻:藤原範茂の娘(のち離縁)
- 妻:坊門信家の娘
- 長男:四条房名(1229-1288)
- 妻:足利能子 - 後嵯峨天皇乳母、典侍、足利義氏の娘
- 二男:四条隆顕(1243-?)
- 生母不明の子女
- 三男:鷲尾隆良(?-1296)
- 男子:隆任
- 男子:隆遍 - 大僧正、興福寺別当
- 女子:近子(?-1259) - 大納言典侍、源雅忠室、後深草院二条母
- 女子:隆子 - 典侍、従三位
- 女子:識子(1264-) - 鷲尾一品、伏見天皇乳母
出典
- 井上宗雄『増鏡(中)』、講談社(講談社学術文庫)、1983年、ISBN 4-061-58449-9
- 角田文衞『平家後抄(下)』、講談社(講談社学術文庫)、2000年、ISBN 4-061-59435-4
- 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年、ISBN 4-490-20243-1
- 『日本人名大辞典』講談社、2001年、ISBN 4-062-10800-3
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