Shuchō-hosshinnō

Japanese princely priest in the Edo period
The basics

Quick Facts

IntroJapanese princely priest in the Edo period
A.K.A.Imperial Prince Shuchō Shuchō Hosshinnō Princely Priest Shuchō
A.K.A.Imperial Prince Shuchō Shuchō Hosshinnō Princely Priest Shuchō
PlacesJapan
wasPriest
Work fieldReligion
Gender
Male
Birth3 September 1634
Death12 June 1680 (aged 45 years)
Star signVirgo
Family
Mother:Sono Kuniko
Father:Emperor Go-Mizunoo
Siblings:Sōchō-joō Richū-joō Teruko, Princess Ake Onna Ni no miya Tsuneko-naishinnō Bunchi-joō Akiko-naishinnō Empress Meishō Yoshiko-naishinnō Bunsatsu-nyoō Niinomiya Hachijō-no-miya Yasuhito-shinnō Gyōjo-hosshinnō Sukehito-shinnō Reigen Emperor Go-Kōmyō Emperor Go-Sai Kamo-no-miya Shōjō-hosshinnō
The details

Biography

守澄法親王(しゅちょうほっしんのう、寛永11年閏7月11日(1634年9月3日) - 延宝8年5月16日(1680年6月12日))は、初代輪王寺宮門跡(日光門跡とも呼ばれる)。東叡山(寛永寺)・日光山(輪王寺)貫主。天台座主。朝廷より二品・一身阿闍梨・一品・護持・牛車・検封阿闍梨などの宣下を受ける。


経歴

  • 1634年(寛永11年)閏7月、後水尾天皇の第3皇子として誕生。
  • 1638年(寛永15年) 江戸幕府が対朝廷政策・宗教政策の一環として、幕府が朝廷に対して皇子下向の要請を出し、翌年に幕府と朝廷との間に皇子下向の契約が結ばれる。
  • 1644年(寛永21年) 青蓮院で得度(尊敬法親王)
  • 1647年(正保4年) 関東に下向し東叡山に入る。
  • 1648年(慶安元年) 3回の日光登山を行う。
  • 1649年(慶安2年) 一品宣下のため上洛。
  • 1654年(貞応3年)7月 紅葉山家光廟の安鎮修法を行う。11月、前座主の公海から譲られて東叡山・日光山の貫主となる。
  • 1655年(明暦元年)9月 大内裏の安鎮修法のため再度上洛。10月、朝廷より天台座主を宣下される。11月 大内裏安鎮修法を行い、朝廷から日光山に対し「輪王寺」号を与えられる。これより輪王寺宮門跡の始まりとなる。12月、天台座主を辞任。
  • 1656年(明暦2年)2月、幕府により輪王寺宮門跡が比叡山・東叡山・日光山の三山を管領する長として定められる。
  • 1658年(万治元年)4月、徳川秀忠27回忌法会において、守澄法親王の請願により大赦令が出された。
  • 1659年(万治2年)9月、江戸城本丸御殿の安鎮修法を行う。
  • 1664年(寛文4年)10月、東叡山宝樹院霊牌所の安鎮修法を行う。
  • 1666年(寛文6年)5月、後水尾院との対面、後陽成・後光明院の法会のため上洛。
  • 1673年(延宝元年)5月 諱改め(守澄法親王)と、後に第2代輪王寺宮門跡になる天真法親王の得度に立ち会うため上洛。
  • 1677年(延宝5年)1月と翌年5月に東福門院和子の病気の祈祷のため上洛。
  • 1680年(延宝8年)5月、入滅。天真法親王が輪王寺を継ぐ。


天台座主
天台座主
先代:
-
輪王寺宮門跡
初代:1655 - 1680
次代:
天真法親王
The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 19 Jun 2020. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.