Shin'ichi Tamaki

The basics

Quick Facts

PlacesJapan
wasBusinessperson Politician
Work fieldBusiness Politics
Gender
Male
BirthJuly 1895
Death11 June 1975 (aged 79 years)
Positions Held
member of the House of Representatives of Japan
member of the Hokkaido Prefectural Assembly
The details

Biography

玉置 信一(たまき しんいち、1895年〈明治28年〉7月5日 - 1975年〈昭和50年〉6月11日)は、大正・昭和期の新聞記者、政治家。衆議院議員。

経歴

奈良県出身。1896年(明治29年)北海道樺戸郡、のちの新十津川村(現新十津川町)に移住。1923年(大正12年)満州法政学院政治経済科を卒業し新聞記者となる。

衆議院議員東武と知り合い、北海タイムス(北海道新聞の前身の一つ)の記者となる。1932年(昭和7年)北海道会議員に選出され、同参事会員、留萌町会議員、同議長を務めた。

1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で北海道第2区から民主自由党所属で出馬して初当選。その後、第26回総選挙まで連続3回当選。1955年(昭和30年)7月、第27回総選挙では次点で落選し、政界を引退した。この間、第5次吉田内閣・北海道開発政務次官を務め、港湾建設の推進などに尽力した。

その他、北海タイムス支局長、留萌商工会議所副会頭、留萌貿易協会長、留萌市教育復興会議議長、水工連冷蔵常務取締役、同胞救援国民運動総本部事務局長、丸一水産取締役社長、自由党総務、同政調会海運部副部長などを務めた。

政界引退後の1961年(昭和36年)北海道選挙管理委員会委員長に就任した。

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