Setsuo Fujiwara

���本の新聞記者、元官僚、政治家
The basics

Quick Facts

Intro���本の新聞記者、元官僚、政治家
PlacesJapan
wasPolitician
Work fieldPolitics
Gender
Male
Birth10 November 1906
Death17 April 1992 (aged 85 years)
Star signScorpio
Positions Held
member of the House of Representatives of Japan
The details

Biography

藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月10日 - 1992年〈平成4年〉4月17日)は、日本の新聞記者、官僚、政治家。衆議院議員、総理府総務副長官(事務担当)。

経歴

岡山県出身。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。

時事新報、読売新聞の記者を経て官界に転じ、逓信大臣秘書官、司法大臣秘書官、綜合計画局参事官、戦災復興院事務官、建設省弘報課長、総理府総務副長官(事務)を歴任。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、日本民主党事務局長、自由民主党事務局長も務めた。

1958年(昭和33年)の衆議院総選挙で岡山県第2区から自民党公認で出馬するが次々点で落選(ちなみに次点は藤井勝志)、1960年(昭和35年)の総選挙でトップ当選して衆議院議員となるが、この時大規模な選挙違反を起こして運動員や妻が検挙される。藤原本人も逮捕されて公職選挙法違反容疑で起訴され、裁判では1965年(昭和40年)3月13日に広島高等裁判所岡山支部で懲役1年6月・執行猶予4年の有罪判決を言い渡され、1966年(昭和41年)4月21日に最高裁判所第一小法廷(岩田誠裁判長)で上告棄却の判決を受けて有罪が確定した。このため再選を狙った次の1963年(昭和38年)の総選挙では自民党の公認を得られず次点で落選、有罪判決確定後の1969年(昭和42年)総選挙にも出馬したが次々点にも届かずに落選している。

衆議院議員在任中は、国土開発審議会委員、自民党教育部長兼宗教部長、同中小企業労働部長、同内閣副部会長、同中国地方開発副委員長、同北海道開発副委員長などを歴任。議員退職後は、自民党前議員会専務理事の座にあった。1992年(平成4年)4月17日1時25分、肺炎のため駒崎医院(東京都杉並区)で死去(85歳没)。

栄典

1979年(昭和54年)旭日中綬章受賞。1992年(平成4年)4月17日、従四位。

著作

  • 『祖国によせる三つの希い:憲法改正国土開発PR 私の履歴書』政経墾談会、1976年。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 21 Nov 2024. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.