Biography
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Quick Facts
is | Military commander | |
Work field | Military | |
Gender |
| |
Death | 4 August 1584 |
Biography
寒河江 高基(さがえ たかもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。寒河江氏の18代当主であり、寒河江氏最後の当主。
生涯
大江氏宗家・出羽吉川氏の吉川元綱の長男として誕生。当初は吉川宗家を相続したとみられる。
寒河江氏17代当主・寒河江兼広の執政となった末弟・柴橋頼綱が、兼広の娘と長兄である高基の縁談を仲介し、高基が寒河江氏18代を継ぐことになる。しかし、寒河江氏当主の座は寒河江兼広と最上義光の間で義光の子・義康を婿として同氏を継がせる約束があった事により、両家の間には確執が起こり、さらに同族である左沢氏や溝延氏からの反発も招いた。なお、吉川宗家は弟・隆広が継いだ。
天正9年(1581年)から天正10年(1582年)にかけて最上義光は新庄を中心に大宝寺氏(武藤氏)と争う。その後、義光は武藤氏攻略をめざし武藤氏の家臣前森氏を調略し、前森氏(東禅寺義長・東禅寺勝正)は武藤氏の居城尾浦城を取り囲む。高基は自ら六十里越を通り、縁戚関係にあった大宝寺義氏の救援に向かうが、到着前に武藤氏は滅亡。その際、大綱注連寺より三千仏の画像三幅対を持ち帰り、慈恩寺弥勒堂に寄進している。
天正12年(1584年)6月7日、最上義光が寒河江荘北方を領する白鳥長久を誘殺し間髪を入れず3千の兵で白鳥氏本拠谷地城に攻め込む。寒河江から柴橋頼綱も救援に駆けつけ、白鳥氏との連合軍2千の兵で当たるものの破られ数日のうちに谷地城は落城。時を移さず、義光が寒河江城攻撃の態勢を整え押し寄せると、柴橋頼綱は白鳥氏旧臣を糾合して最上川を越えて最上氏の陣に攻め込み、須川を越えて中野の出城(中野城)まで到達した。義光は策を巡らせ、偽りの退却と鉄砲隊の伏兵によって頼綱は討ち取られた。
その翌日、最上氏が寒河江に討ち入ると寒河江氏家来衆は態勢を立て直す余裕もなく最上氏に下り、高基は貫見楯に逃れたものの6月28日、3名(高屋・入間・溝谷)の忠臣と共に自害し果てた。また、弟・隆広や家臣12名も貫見楯で自害している。
その他
- 墓所である光学院には自刎に用いた脇差が現存する。
- 御楯山山頂には1584年(天正12年)の高基の死から280年以上にわたって墓標すらなかったが、江戸時代の柴橋代官林伊太郎が墓碑を建立したといわれている。
系譜
- 父:吉川元綱 - 民部少輔。法名恵林院殿円智英公大居士。
- 叔母:寒河江兼広の室
- 叔母:白鳥長久の室
- 叔母:貴志光英の室
- 正室:寒河江兼広の娘・琴姫
家臣
- 柴橋頼綱 - 末弟。家老。
- 小野家勝 - 弟に勝則、則道。全員合戦にて討ち死。
- 渡辺顕広 - 下目付?
- 羽川義久 - 柴橋頼綱に従い最上義光と戦い討ち死。兄は公平氏として血脈を残した。
- 入間勝訓 - 高基とともに自害。
- 松田彦次郎 - 高基没後菩提を弔う。
周辺系図
天童頼貞 | 天童頼澄 | 娘 | |||||||||||||||||||||||||||||
最上義光室 | 寒河江良光 | ||||||||||||||||||||||||||||||
吉川政時 | 吉川元網 | 吉川隆広 | |||||||||||||||||||||||||||||
白鳥長久妻 | 柴橋頼綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||
貴志光英妻 | 高基 | ||||||||||||||||||||||||||||||
娘 | |||||||||||||||||||||||||||||||
寒河江広種 | |||||||||||||||||||||||||||||||
寒河江兼広 | 琴姫 | ||||||||||||||||||||||||||||||
祐林寺殿 | |||||||||||||||||||||||||||||||
白岩宗広 | 娘 | ||||||||||||||||||||||||||||||
白岩広隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 寒河江兼広が最上義康(天正3年(1575年)生)の婿入りを約束したとすると、天正4年(1576年)高基の買地安堵状が現存するため、天正3年~天正4年に寒河江城主になったと推定される。(『寒河江市史 上巻』p.739)
- ^ 現・山形県鶴岡市大山。
- ^ 現・山形県西村山郡大江町貫見。
- ^ 『ふるさと寒河江の歴史』p.85
- ^ 『寒河江市史 上巻』.p775
- ^ 八ツ沼城主
出典
- 寒河江市史編さん委員会 『寒河江市史 上巻』、1994
- 寒河江市史編さん委員会 『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』、2001