坤儀公主(こんぎこうしゅ、1630年12月2日(崇禎3年10月29日) - ?)は、明の公主。明の最後の皇帝である崇禎帝の長女である。母は周皇后。
崇禎帝の実録と起居注は編まれておらず、坤儀公主の没年について記録が混乱している。一説に1644年4月24日夜間に父の手で負傷した、あるいは父の手で斬殺されたとされるが、これは長平公主や昭仁公主(共に坤儀公主の妹)との混同と考えられる。
参考文献
- 『明史』列伝第9 公主伝 坤儀公主,周皇后生。追諡。
- 『烈皇小識』
- 『崇禎長編』
- 『欽定續文献通考』愍帝六女:坤儀公主、周皇后生。早薨。
脚注
- ^ 『崇禎長編』:「崇禎三年庚午十月甲戌、皇第一女生、中宮出、是為坤儀公主。」
- ^ 『烈皇小識』:「坤儀公主在旁哭不已。上叱之曰:『汝奈何生我家』?亦刃之、公主以手仰格、臂断」
- ^ 『甲申伝信録』:「時已二鼓、上巡寿寧宮。長公主年甫十五、上目怒之。曰:『胡為生我家』?欲刃之、手不能挙。良久、忽揮剣断公主右臂而撲、並刃坤儀公主於昭仁殿。」