Ōkubo Masaaki
Japanese botanist
Intro | Japanese botanist | ||||
A.K.A. | Ōkubo Josaburō Ōkubo Heireian | ||||
A.K.A. | Ōkubo Josaburō Ōkubo Heireian | ||||
Places | Japan | ||||
was | Botanist | ||||
Work field | Science | ||||
Gender |
| ||||
Birth | 1802, Nagoya, Aichi Prefecture, Japan | ||||
Death | 20 November 1841Nagoya, Aichi Prefecture, Japan (aged 39 years) | ||||
Family |
|
大窪 昌章(おおくぼ まさあき)は江戸時代後期の尾張藩士、本草学者。名古屋の本草学研究会嘗百社の一員で、天保4年(1833年)水谷豊文の没後同社を支えた。茶道も好み、茶器を自作した。
志村半兵衛吉昌の次男として生まれた。文政4年(1821年)後半大窪光風の養子となり、光風没後、文政7年(1824年)4月14日御目見して跡目を継ぎ、馬廻組、切米30俵となり、天保9年(1838年)9月12日大番組、切米50俵となった。
天保12年(1841年)10月8日死去し、天保13年(1842年)6月14日嫡子大窪安治が跡目を継いだ。
大東急記念文庫にも自筆本等が多数所蔵されている。