Nobuo Murachi
Japanese politician
Intro | Japanese politician | |||
Places | Japan | |||
is | Politician | |||
Work field | Politics | |||
Gender |
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Birth | Tokyo, Japan | |||
Death | 22 October 1941 | |||
Education |
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Positions Held |
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村地 信夫(むらち のぶお、1887年(明治20年)6月1日 - 1941年(昭和16年)10月22日)は、日本の内務・警察官僚。官選滋賀県知事、秋田市長。
東京府出身。村地正治の四男として生まれる。第二高等学校を卒業。1912年、東京帝国大学法科大学(独法)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年(大正3年)内務省に入省し和歌山県属となる。
以後、和歌山県伊都郡長、同那賀郡長、鹿児島県理事官、秋田県警察部長、福岡県書記官・警察部長、内務省書記官・警保局高等課長、同保安課長、警視庁官房主事などを歴任。
1934年(昭和9年)10月、滋賀県知事に就任。水産課分室の設置、県観光協会の設置、工場排水問題解決のための基礎調査実施、治水・造林規定の制定などを推進。1936年(昭和11年)4月、知事を辞職し退官した。その後、1937年(昭和12年)日本万国博覧会財務部長、1939年(昭和14年)2月に秋田市長に就任したが、在任中に死去した。