Nakamura Mototsune

The basics

Quick Facts

PlacesJapan
wasPhysician Scholar Confucian scholar
Work fieldAcademia Healthcare
Gender
Male
Birth29 December 1778, Iijima, Nagano Prefecture, Japan
Death27 September 1851 (aged 72 years)
Star signCapricorn
The details

Biography

中村 元恒(なかむら もとつね、安永7年11月11日(1778年12月29日) - 嘉永4年9月3日(1851年9月27日))は江戸時代後期の医師、儒者。号は中倧、蕗原翁、不用舎、希月舎。通称は中書。字は大明、成甫。幼名は紋弥。初名は奛。中村元起は次男。中村弥六は孫にあたる。

生涯

信濃国伊那郡本郷村(現・長野県上伊那郡飯島町)に医師の中村元茂(伯先、淡斎)の長男として生まれる。父に医学を学び、寛政4年(1792年)に坂本天山に入門し儒学を学ぶ。同13年(1801年)、上洛して中西鷹山に古医方を、猪飼敬所に儒学を学ぶ。享和2年(1802年)に帰郷し、文化5年(1808年)同郡大出村(現・箕輪町)に移って家塾「不用舎」を開いて儒学と医学を教える。同7年(1810年)高遠藩に藩医兼藩儒として仕官し、師の天山の学説たる「実学」を奨励した。嘉永2年(1849年)藩内の開墾事業を巡る政争に連座して領内の黒河内村に流され、同4年(1851年)に没したが、その後赦免された。

子の元起とともに、郷土地誌の集大成「蕗原拾葉」を編纂した。大正7年(1918年)に従五位を遺贈された。

著作

  • 「蕗原拾葉」
  • 「周易衍註」
  • 「周易衍翼」
  • 「易学源流論」
  • 「毛詩通解」
  • 「信濃史奇談」
  • 「伊那史略」
  • 「箕輪記」

脚注

  1. ^ 『信濃人物誌』314頁。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.46

出典

  • 村沢武夫『信濃人物誌』信濃人物誌刊行会、1962年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 『日本人名大辞典』講談社 2001年。
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