Motoki Komatsu
Japanese politician and labor activist
Intro | Japanese politician and labor activist | ||
A.K.A. | Komatsu Motoki | ||
A.K.A. | Komatsu Motoki | ||
Places | Japan | ||
was | Activist Trade unionist Politician | ||
Work field | Activism Politics | ||
Gender |
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Birth | 9 September 1914, Hiji, Oita Prefecture, Japan | ||
Death | 11 August 1990 (aged 75 years) | ||
Star sign | Virgo | ||
Positions Held |
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小松 幹(こまつ もとき / かん(通称)、1914年(大正3年)9月9日 – 1990年(平成2年)8月11日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。
大分県速見郡日出町で生まれる。1938年(昭和13年)大分県師範学校専攻科を卒業。大分県下の小学校教員を務めた。太平洋戦争に出征し陸軍伍長で復員した。
組合運動に加わり、大分県教職員組合速見支部委員長、同教組副委員長、日本教職員組合中央執行委員、同副書記長などを務め、1952年(昭和27年)大分県労働組合総評議会委員長に就任した。
1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に大分県第2区から出馬して初当選。第26回総選挙では次点で落選。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で再選。以後、第31回総選挙まで再選され、衆議院議員を通算6期務めた。この間、裁判官訴追委員、国土開発縦貫自動車道建設審議会委員、日本社会党政策審議会主査、同災害対策副委員長、同会計監査委員、同九州開発特別委員会事務局長、同政審財政金融副委員長、同党大分県連会長、同本部委員長などを務め、社会党の闘士・理論家として知られた。
政界引退後、学校法人佐藤学園(現学校法人別府大学)常任理事に就任して別府大学の経営に参画し、その他、日本文理大学理事、別府霊園理事なども務めた。