Momosuke Takano
Japanese baseball player
Intro | Japanese baseball player | |
Places | Japan | |
is | Athlete Baseball player | |
Work field | Sports | |
Gender |
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Birth | 9 July 1912, Nagano Prefecture, Japan | |
Age | 112 years | |
Star sign | Cancer | |
Sports Teams |
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高野 百介(たかの ももすけ、1912年7月9日 - 戦死)は、長野県出身のプロ野球選手(外野手)。
1912年に長野県で生まれた。松本商業学校(現・松商学園高等学校)時代は、1928年春と夏の甲子園に連続出場し、夏の大会ではエースとして大活躍した中島治康と共に、同校の優勝に貢献した。高野自身は主に8番ライトで出場し、準決勝の高松中戦では先制のセンター前タイムリーヒットを打った。松本商を卒業後は立教大学へ進学した。
1938年に南海軍へ入団。1938年秋季シーズンはリーグ戦の40試合に全試合出場し、中村金次に次いで「第2代ホークス4番打者」 に任されるなど、中心打者として活躍した。主に3~6番を打ち、レフトを守っていた。結果的に現役最後の出場となった、11月15日の名古屋軍(後楽園球場)では、当時のエース・松尾幸造から試合を決める三塁打を放ち、チームの創設年度最下位陥落の危機を救った。1938年シーズン終了後、応召。その後、戦死(没年月日、死没場所は不明)。
東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に彼の名が刻まれている。
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
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1938秋 | 南海 | 40 | 150 | 131 | 15 | 28 | 7 | 2 | 1 | 42 | 15 | 8 | -- | 2 | -- | 17 | -- | 0 | 25 | -- | .214 | .304 | .321 | .625 |
通算:1年 | 40 | 150 | 131 | 15 | 28 | 7 | 2 | 1 | 42 | 15 | 8 | -- | 2 | -- | 17 | -- | 0 | 25 | -- | .214 | .304 | .321 | .625 |