Mitsuhiro Ono
Japanese politician and businessman
Intro | Japanese politician and businessman | ||
Places | Japan | ||
was | Businessperson Politician | ||
Work field | Business Politics | ||
Gender |
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Birth | 1920, Shiojiri, Higashichikuma District, Nagano Prefecture, Japan | ||
Death | 9 November 2005 (aged 85 years) | ||
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小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。父は元衆議院議員の小野祐之。
長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
1978年(昭和53年)10月に塩尻市長に初当選し、1990年(平成2年)に退任するまで3期務めた。在任中は国鉄塩尻駅の移転事業や、長野自動車道塩尻IC、塩尻北IC開設に尽力した。それに伴って、塩尻ICに近接した林間工業団地を軸に、高度先端技術の拠点づくりを推進し、大門市街地活性化事業、高度情報ネットワークの形成や、塩尻駅を拠点とする広域アクセス道路の整備などの実績を上げた。