松平 忠容(まつだいら ただやす)は、江戸時代中期の旗本。
信濃上田藩主・伊賀守系藤井松平家松平忠周の五男として誕生。
享保13年(1728年)6月15日、父の遺言により兄である上田藩主の忠愛より更級郡川中島(塩崎知行所)5,000石を分知され旗本寄合席となる。元文2年(1737年)8月25日に徳川家治の小姓となり、8月28日に従五位下民部少輔に叙任。宝暦6年(1756年)2月21日に小姓組番頭、5月21日より西丸側役となり、10月29日に致仕した。致仕号は笠翁。
跡は忠常が継いだ。