Masutaro Takagi
Japanese lawyer
高木 益太郎(たかぎ ますたろう、1869年3月7日(明治2年1月25日) - 1929年(昭和4年)12月11日)は日本の政治家・衆議院議員(当選6回)、弁護士、実業家。法律新聞社長。尾西鉄道社長。法政大学総務部長、同大理事。従五位勲三等。族籍は東京府平民。
1869年1月25日、東京日本橋に生まれる。高木益喜の長男。1887年、東京法学校(現法政大学)を卒業。代言人試験に合格し、代言事務所を開く。1900年、『法律新聞』を創刊する。1908年、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲国民党、立憲民政党に所属。尾西鉄道社長、遠州電気、木曽川物産各取締役、東華生命保険監査役を務める。1929年、死去。61歳。
高木は代言人試験に及第したが、直ちに開業せず、一介の書生として帝国大学に通学し、余暇あれば路傍に立って法律演説を為し、法律思想の普及伝播に尽くした。
創刊した『法律新聞』は、下級審の裁判例を広く収載し、法律の普及と立法の資料として役立てることを目的としている。
大審院判決についても「判決録」「判例集」に登載されないものも全文掲載され、法曹界の動向や外国の立法状況なども報道しており、明治・大正期の法曹界、社会状況を示す貴重な資料となっている。
高木没後は娘婿の弁護士岡崎源一が継承し、1944年8月4922号をもって終刊となった。
高木の人柄は『日本弁護士総覧 第2巻』では「頗る侠気に富みて気骨稜々である」、『大正人名辞典』では「江戸子中の任侠児」と紹介されている。住所は東京日本橋本銀町四丁目、芝三田功運町。