Masayuki Funabiki
Japanese military personnel
Intro | Japanese military personnel | ||||||
Places | Japan | ||||||
was | Soldier Military personnel | ||||||
Work field | Military | ||||||
Gender |
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Birth | 2 August 1891, Hyogo Prefecture, Japan | ||||||
Death | 2 August 1891 | ||||||
Star sign | Leo | ||||||
Education |
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船引 正之(ふなびき まさゆき、1891年(明治24年)8月2日 - 1963年(昭和38年)5月9日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級
1891年(明治24年)に兵庫県で生まれた。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第37期卒業。1936年(昭和11年)に独立混成第11旅団参謀に就任し、盧溝橋事件に参戦。1937年(昭和12年)8月に陸軍砲兵大佐に進級し、11月に陸軍重砲兵学校研究部主事に就任。1938年(昭和13年)に野戦重砲兵第8連隊長、1939年(昭和14年)に関東軍兵器部長を歴任。
1940年(昭和15年)3月に陸軍少将に進級し、9月に第12砲兵団長に就任。1941年(昭和16年)に陸軍技術本部総務部長、1942年(昭和17年)に陸軍兵器行政本部教育部長を歴任。1943年(昭和18年)6月に陸軍中将に進級し、第64師団長に親補され、中国戦線に復帰。杭州で警備に当たり、長沙で終戦を迎えた。