Maeda Toshiyasu
���賀大聖寺藩の第8代藩主
前田 利考(まえだ としやす)は、加賀大聖寺藩の第8代藩主。
安永8年(1779年)1月10日、第6代藩主・前田利精の長男として江戸で生まれる。天明2年(1782年)8月21日、父が不行跡により宗家の加賀藩主・前田治脩によって監禁・強制隠居されたとき、幼少のために家督は叔父の利物が継ぐことになった。天明8年(1788年)、利物が死去した後、その養子として家督を継ぐ。
父と違って有能で、乱れた藩政を立て直すために綱紀粛正、質素倹約による財政再建、文武の奨励などを行なって藩政の刷新を目指した。しかし、文化2年12月25日(1806年2月13日)に27歳で死去した。跡は、従弟(利物の息子)で養子の利之が継いだ。
大聖寺藩の歴代藩主の中では、名君と称されている。
父母
正室
側室
養子