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Biography
万里小路 嗣房(までのこうじ つぐふさ)は南北朝時代から室町時代前期の公卿。従一位内大臣。父は准大臣万里小路仲房。子は『建内記』の記者として名高い建聖院内大臣時房。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
貞和3年/正平2年(1347年)1月5日、叙爵。観応元年/正平5年(1350年)4月20日、従五位上に昇叙。8月16日、美作守となる。文和3年/正平9年(1354年)3月28日、民部少輔に任ぜられる。文和4年/正平10年(1355年)8月13日、正五位下に昇叙。文和5年/正平11年(1356年)1月28日、右兵衛佐を兼ねる。延文2年/正平12年(1357年)4月12日、蔵人に補される。
延文6年/正平16年(1361年)3月27日、右少弁に任ぜられる。康安2年/正平17年(1362年)5月7日、正五位上に昇叙。9月30日、記録所寄人となる。貞治2年/正平18年(1363年)4月20日、右中弁に転任。9月には南曹に補される。貞治5年/正平21年(1366年)4月19日、左中弁に転任し、従四位下に昇叙される。貞治6年/正平22年(1367年)1月6日、従四位上に昇叙。3月13日、蔵人頭に補され、紀伊権守を兼ねる。4月13日、右大弁に転任。12月19日、母の喪に服す。応安元年/正平23年(1368年)4月19日、復任する。8月13日、正四位下に昇叙。応安2年/正平24年(1369年)1月5日、正四位上に昇叙。
応安3年/建徳元年(1370年)8月14日、左大弁に転任し参議に任ぜられる。12月、造東大寺長官に補される。応安4年/建徳2年(1371年)、従三位に叙される。応安7年/文中3年(1374年)9月28日、権中納言に任ぜられる。11月28日、左衛門督を兼ねる。12月13日、検非違使別当に補される。応安8年/天授元年(1375年)11月22日、正三位に昇叙。永和2年/天授2年(1376年)7月11日、検非違使別当を辞した。永和3年/天授3年(1377年)3月24日、左衛門督を辞した。永和5年/天授5年(1379年)1月30日、記録所の上卿となるよう宣下がある。永徳元年/弘和元年(1381年)1月6日、従二位に昇叙。永徳2年/弘和2年(1382年)4月19日、父仲房が准大臣宣旨を受ける。
永徳3年/弘和3年(1383年)3月28日、権大納言に任ぜられる。12月15日、正二位に昇叙。嘉慶2年/元中5年(1388年)6月2日に父仲房が薨去し、12月に権大納言を辞した。康応2年/元中7年(1390年)4月1日、権大納言に還任。応永2年(1395年)閏7月2日、従一位に叙され権大納言を辞した。応永3年(1396年)7月24日、内大臣に任ぜられる。10月5日、出家。法名は道房。応永8年(1401年)9月9日、薨去。
万里小路家初の内大臣
父仲房は准大臣の宣旨を得たが、嗣房は万里小路家では初めて内大臣に任ぜられた。伝奏として公武の折衝に当たってきた万里小路家は、その働きにふさわしい地位を名実共に獲得したのである。
脚注
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参考文献
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 応安3年/建徳元年に嗣房が参議となった時以降の記事。
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「万里小路嗣房」および「万里小路仲房」の項。