Kojirō Satō

militair
The basics

Quick Facts

Intromilitair
A.K.A.Кодзиро Сато
A.K.A.Кодзиро Сато
wasMilitary personnel
Work fieldMilitary
Gender
Male
Birth29 August 1872
Death21 August 1928 (aged 56 years)
The details

Biography

佐藤 小次郎(さとう こじろう、明治5年7月26日1872年8月29日)- 1928年昭和3年)8月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

三重県出身。1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業 し、同年9月、砲兵少尉に任官。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を卒業し参謀本部に配属された。日露戦争に出征し、第2軍参謀などを務めた。

1915年(大正4年)8月、砲兵大佐に昇進し野砲兵第21連隊長に就任。1916年(大正5年)4月、第9師団参謀長に転じ、さらに陸軍省軍務局砲兵課長を務めた。

1918年(大正7年)9月、シベリア出兵第12師団兵站監として出征。1919年(大正8年)4月、陸軍少将に進級し浦塩派遣軍憲兵隊司令官となる。1920年(大正9年)2月、鎮海湾要塞司令官に転じた。1921年(大正10年)2月、台湾軍参謀長に就任。

1924年(大正13年)2月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官となり、同年12月に待命、そして予備役編入となった。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
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