Kiichirō Shimizu
Japanese baseball player
Intro | Japanese baseball player | ||||
Places | Japan | ||||
was | Athlete Baseball player | ||||
Work field | Sports | ||||
Gender |
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Birth | 10 May 1924, Tokyo, Japan | ||||
Death | 28 February 1964 (aged 39 years) | ||||
Star sign | Taurus | ||||
Stats |
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Sports Teams |
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清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - 1964年2月28日)は、東京都出身のプロ野球選手(二塁手・遊撃手)。
京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会で準優勝(決勝で帝京商業学校〔現・帝京大学中学校高等学校〕に0-14で大敗)。翌1942年に戦時下の甲子園大会に出場した(初戦で、この大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1-2で惜敗)。京王商業時代のチームメイトに貫井丞治がいる。京王商卒業後は、貫井と共に明治大学でプレーした。
1946年、貫井、大下弘と共に明治大学出身者を獲りたいチーム方針から、セネタースに入団した。同年7月19日のパシフィック戦(西宮球場)でデビューした。打撃面ではやや難があったが、守備で活躍。「ペンギン」のあだ名で、飄々としたプレーで人気を博した。当時選手兼任監督だった苅田久徳との二遊間は「鉄壁の内野」と謳われたが、本人は苅田の名プレーに自信喪失気味だったと伝わる。1947年シーズン終了後、現役引退した。
引退後は、世田谷区太子堂のネクタイ店「神崎商店」に勤務した。その後、ネクタイの外商、宝石商を営むがいずれも失敗し、1964年2月28日、玉川上水に入水自殺した。39歳没。
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
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1946 | セネタース東急 | 59 | 202 | 168 | 15 | 31 | 1 | 2 | 0 | 36 | 11 | 4 | 5 | 5 | -- | 27 | -- | 2 | 28 | -- | .185 | .305 | .214 | .519 |
1947 | 52 | 165 | 147 | 4 | 28 | 5 | 1 | 0 | 35 | 8 | 1 | 3 | 2 | -- | 16 | -- | 0 | 16 | -- | .190 | .270 | .238 | .508 | |
通算:2年 | 111 | 367 | 315 | 19 | 59 | 6 | 3 | 0 | 71 | 19 | 5 | 8 | 7 | -- | 43 | -- | 2 | 44 | -- | .187 | .289 | .225 | .514 |