Kentarō Hirakawa

Japanese announcer
The basics

Quick Facts

IntroJapanese announcer
PlacesJapan
isAnnouncer
Gender
Male
Birth21 December 1969, Yachiyo, Chiba Prefecture, Japan
Age55 years
The details

Biography

平川 健太郎(ひらかわ けんたろう、1969年12月21日 - )は、日本テレビ編成局アナウンスセンターアナウンス部専門副部長兼チーフアナウンサー。

略歴

  • 千葉県八千代市出身。
  • 千葉県立八千代高等学校卒業。
  • 上智大学文学部英文学科卒業。(同期のフジテレビアナウンサー西山喜久恵と同じ学科)
  • 1992年に日本テレビ入社。
  • 2015年より現職。

現在の担当番組

  • プロレスリング・ノア中継
  • 次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL

過去の担当番組

  • ご存じですか
  • NNNニュースプラス1(スポーツコーナー)
  • どんまい!! SPORTS&WIDE
  • NNNニュースダッシュ
  • Oh!診
  • NNNニューススポット
  • ヒューヒュー
  • NNN Newsリアルタイム・サタデー(矢島学アナの出張に伴う代理)
  • 北京オリンピック女子レスリング 実況
  • news every.サタデー(菅谷大介アナの出張に伴う代理)

エピソード

  • 元来のプロレスファンで、全日本プロレス中継の実況を希望し日テレに入社。現在、日テレプロレス班チーフを務める。
  • プロ野球中継でも活躍しており、日本シリーズでは2008年の第7戦(読売ジャイアンツ対埼玉西武ライオンズ)と2009年の第5戦と2012年の第1戦(ともに読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ)、2013年の第3戦(読売ジャイアンツ対東北楽天ゴールデンイーグルス)、オールスターゲームは2009年の第1戦を担当した。また、2009年の読売ジャイアンツのセ・リーグ優勝決定戦(9月23日、対中日ドラゴンズ戦)も実況した。2011年3月25日の対横浜戦で入社以来初めてとなる巨人のシーズン開幕戦(開催が東京ドームの場合のみ)実況を担当する予定だったが、同11日に発生した東北地方太平洋沖地震による計画停電により、ナイターが自粛となったため行なわれなかった。その後、開幕戦が同年4月12日の対ヤクルト戦(ユーピーアールスタジアム宇部)に延期となったが、その試合の中継で実況を担当した。2012年3月30日の巨人対ヤクルト戦で東京ドームでの巨人のシーズン開幕戦の実況を担当。前年は震災の影響で実現できなかったため、自身にとって初の本拠地での巨人開幕戦実況だった。2017年3月31日の対中日戦で5年ぶり(通算3度目)に巨人のシーズン開幕戦の実況を担当した。
  • 2000年の日本シリーズで巨人がダイエーを破り日本一を決めた後のビールかけではレポーターを担当。そこで後藤孝志に「俺と同級生なんだよね」と問われた際に「(自分も)昭和44年生まれです…」と恥ずかしそうに返していた。ちなみに後藤の話によるとこのときに着用したスーツは1式6万円もしたという。
  • また箱根駅伝中継でも第80回大会と第85回大会から第89回大会まで5年連続(通算6回)で往路ゴール、復路スタートおよびゴールの実況を担当。第85回大会と第86回大会では東洋大学の柏原竜二(現・富士通)を『山の神童(第86回大会では『山の竜神』)』とコメント。第87回大会の復路ゴールでは、早稲田大学の18年ぶりの総合優勝の瞬間を実況した。第90回大会からはその役割を後輩の蛯原哲に譲り、翌年の第91回大会から6代目センター実況を担当することになった。
  • 同期入社アナウンサーは、野口敦史(現・報道局外報部)、大神いずみ(現・フリー。元巨人・元木大介夫人)、松本志のぶ(現・フリー。作曲家・岩代太郎夫人)。

平川とプロレス

上記の通り、大変なプロレスファンで、プロレスの実況をやりたいがために日テレに入社している。学生時代にレスリングを経験しているが、それもプロレス熱が高じてのことで、同僚にジャーマン・スープレックスを仕掛けたりしていた。その経験もあって、レスリング実況においても、日本テレビでは平川が主力となっている。

入社後は希望通りにプロレス班に配属され、全日本プロレス中継では先輩の金子茂、同期の野口敦史らが異動となってからメインアナウンサーとなり、金子の異動後にチーフに就任した。

プロレスリング・ノア中継開始後も引き続きチーフとなり、後輩アナウンサーで、絶叫を売り物にしていた矢島学とは正反対の、堅実で落ち着いた実況を売り物としている。また、非常に間をとった絶妙な実況は視聴者の受けもよく、解説者である百田光雄や高山善廣の話も生きている。

名言も多く、特に2005年7月18日に行われた、ノア東京ドーム大会・三沢光晴vs川田利明の「最終決戦」の中で発した下記参照の一節は、ファンの心に残っている。また、終盤のエルボー乱打の際には一切言葉を発さず、一区切りした瞬間に口を開くという緩急も見せつけた。

もちろん厚いマットを敷いた上での話だが、三沢のエメラルド・フロウジョンを受けたことがある。

名言

  • タッグパートナーのデストロイヤーが今、馬場とガッチリと握手を交わしました。(1999年5月2日、東京ドーム大会・ジャイアント馬場引退記念・追悼試合。テンカウントが終わり、リング上に置かれた馬場のリングシューズにデストロイヤーが手をかけた瞬間)
  • 存在そのものがプロレス、闘いそのものが王道でした。プロ野球・巨人軍のエースを夢見たかつての少年が、レスラーとして選んだ最後のリングは東京ドームでした。(同上)
  • 雨の東京北の丸、日本武道館は涙に濡れました。武道館が泣いている!395日ぶり、小橋建太が帰ってきました!!(2002年2月17日、日本武道館大会・小橋建太復帰戦入場シーン)
  • 職業欄に「プロレスラー」と書きたいから、高山は今日このリング、そして小橋建太を選びました!!(2004年4月25日、日本武道館大会・小橋建太vs高山善廣。高山がPRIDEのオファーを蹴ってまでノアを選んだことに触れて)
  • やめろ、やめろー!(2004年7月10日、東京ドーム大会・小橋建太vs秋山準。秋山がコーナーポスト上の小橋に対しエクスプロイダーの体勢に入った瞬間)
  • 見ているのが辛い。ここまでやらなくてはならないのか。ここまでしなければ、小橋と秋山は語れないのか!(同上)
  • 意識があればそれは奇跡的なことです。そして、このまま試合が続けられれば、それは人類として考えられないことです!!(同上)
  • 巨人戦でも、ここまで東京ドームは揺れません!!(同上)
  • 馬場さんのプロレスを守るためにノアを立ち上げた三沢、そして馬場さんの築いた城を守るために全日本に残った川田。どちらが偉いとか、尊いとか、かっこいいとか、そんなことは問題ではありません。これは、二人の男の生き様です!(2005年7月18日、東京ドーム大会・三沢vs川田)
  • 吉田沙保里の顔になっています。大丈夫です!(2008年8月16日、北京オリンピック女子レスリングフリースタイル55kg級決勝)
  • 負ける怖さを知った上での、世界の頂点です!(同上)
  • 三沢光晴はプロレスの宝、そして俺たちの誇りです!(2009年6月22日、後楽園ホール大会終了時)

脚注

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関連項目

  • 日本テレビのアナウンサー一覧
  • 千葉県出身の人物一覧

外部リンク

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