Ken'ichi Okunuki

Japanese bureaucrat
The basics

Quick Facts

IntroJapanese bureaucrat
PlacesJapan
wasBureaucrat
Work fieldPolitics
Gender
Male
Birth20 September 1906
Death22 February 2002 (aged 95 years)
Star signVirgo
Education
University of TokyoHongō, Bunkyo, Japan
Positions Held
mayor of Gyōda
The details

Biography

奥貫 賢一(おくぬき けんいち、1906年9月20日 - 2002年2月22日)は、日本の官僚、行田市長。旧姓・清水。

経歴

埼玉県出身。1924年、埼玉県立熊谷中学校卒業。1927年、第三高等学校卒業。1930年、東京帝国大学法学部仏法科卒業。朝鮮総督府に入り、平安南道学務、地方各課長、拓務事務官、拓務書記官、殖産局商工課長、興亜院調査官、大東亜省調査会在ハノイ総領事を歴任。

戦後の1946年埼玉県地方労働委員に就任。翌1947年には忍町町長に就任した。1949年に忍町が市制施行により行田市になり、同市の市長に就任した。在職中は市消防本部の設置、下水道工事に着手、中央公民館の開館が挙げられる。

1951年に一度市長を退任するが、1955年に再び行田市長に就任した。二度目は、ゴミ焼却場の建設、小中学校の新設や改築、工場誘致奨励条例の制定、市内の優良産業従業員に対する表彰制度の実施などを行った。

1959年に市長を退任、退任後は市民を対象にした私塾を開いた。1989年に行田市から名誉市民を贈られた。2002年死去。

脚注

  1. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、720頁。
  2. ^ 『現代物故者事典 2000~2002』、43頁。
  3. ^ 日本官界情報社 編『日本官界名鑑』1942年、64頁。NDLJP:1271159 
  4. ^ 三高とその寮歌の紹介 奥貫賢一”. 2024年1月1日閲覧。
  5. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、721頁。
  6. ^ [1] 行田市の名誉市民の方々
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