浅田 恵一(あさだ けいいち、1885年(明治18年)6月17日 - 1944年(昭和19年)12月18日)は、日本の宮内官僚。宮中顧問官。
経歴
大阪府中河内郡孔舎衙村(現在の東大阪市)出身。1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。大蔵省に入り、専売局勤務、理財局勤務、主税局勤務を経て、板橋税務署長を務めた。その後、宮内省に転じ、宮内事務官、宮内省参事官、宮内書記官、帝室林野局事務官・帝室林野局庶務課長、内蔵寮財務課長、内蔵寮主計課長、宮内省首席参事官などを歴任。1936年(昭和11年)、宮中顧問官となり、翌年に退官した。短歌の結社「華陽会」に加わり、会報に投句した。
退官後は日本郵船株式会社監査役を務めた。
親族
主な著作
旧漢字は新字に改めた。
- 共著
- 翻訳
- 寄稿
- 『御料林』帝室林野局林野会、1928-。<雑41-13>
- 華陽会 編『華陽集』(華陽会、1929年)(昭和4年)doi:10.11501/1188083。
- 通貨制度研究会 編『通貨制度研究会報告』第1輯、東洋経済出版部、1934年。doi:10.11501/1903251。閲覧は国立国会図書館内限定公開、デジタル化資料は図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
- 『心の花』竹柏会、1922年(昭和3年)以降。<Z13-328>:華陽会『華陽集』への投句が転載された。
- 第28巻第10号、第29巻(第6、8号)、第30巻第7号、第38巻(第3、5、6号)、第40巻第2号、第41巻第1号、第44巻(第2号(502)、第3号(503)、第4号(504)、第7号(507)、第11号(511)。
脚注
- ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1944年12月20日朝刊、2頁。
関連資料
脚注に未使用のもの。発行年順。
辞令の記録ほか。特記するものを除き、国立公文書館の収蔵資料。
- 伯爵大隈重信(内閣総理大臣)、若槻礼次郎(大蔵大臣)「税務監督局技師副島昌外18名叙位ノ件」『叙位裁可書・大正4年・叙位巻2』叙00446100-6、大正3年12月26日~大正4年1月16日。A11112411100。
- 大蔵省事務官「大礼使調度部事務分担」『昭和財政史資料第3号第1冊』平15財務00253100-4、1928年(昭和3年)1月18日。A08072037900。
- 大蔵省大礼使長官官房主任「大礼使各部事務連絡掛官」『昭和財政史資料第3号第1冊』平15財務0025310-2、1928年(昭和3年)1月26日。A08072038100。
- 浅田恵一「事務連絡打合要項(第1回及第2回)」『昭和財政史資料第2号第4冊』平15財務00172100-14、1928年(昭和3年)2月20日。A08071822700。
- 明治大正昭和新聞研究会 編 「宮内省異動・淺田恵一他」『新聞集成昭和編年史』昭和4年度版4(1929年10月~12月)、新聞資料出版、1990-01、865頁。doi:10.11501/12397066、全国書誌番号:90022131。(所蔵館:国立国会図書館)。
- 子爵齊藤實(内閣総理大臣)、有馬良橋(葬儀委員長)、浅田恵一(宮内省参事官)。「喪儀ノ式ヲ決定ス」(東郷平八郎候爵、元師海軍大将)『公文類聚・第58編・昭和9年・第16巻・族爵・爵位・勲章記章、儀典・儀礼・服制徽章・国葬』公文類聚第58編・昭和9年(昭和元年-20年)類01863100-21、1934年(昭和9年)6月1日。A14100413500。
- 海軍「特別大演習観艦式陪観券交付人名通知の件、特務士官現住所に関する件」『儀制 海軍大臣官房記録』昭和8(6)〈公文備考C巻10〉、1933年、海軍省-公文備考-S8-43-4483(所蔵館:防衛省防衛研究所)50。C05022669700。
- 内閣官房総務課長、浅田恵一(宮内省参事官)、有馬良橘(葬儀委員長)「第3編第2章:次第」『故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎国葬記録:4』(昭和9年5月30日薨去)葬00067100-18、1934年(昭和9年)6月1日。A10110744200。
- 『マニラ新聞』1944.12.21(所蔵館:スタンフォード大学フーヴァー研究所)2、1944年(昭和19年)12月21日。J23031811000
- 大蔵省「大礼記録編纂委員会職員名簿」『昭和財政史資料第3号第1冊』平15財務00253100-3。A08072041500。
関連項目
- 大正の即位の礼(1915年) 浅田が大礼使事務官を務めた。
- 兌換停止(1931年) 同、帝室林野局職員時代に解説を発表。
- 東郷平八郎の喪儀(1934年) 同、宮内省参事官として式運営に当たった。