Ikeda Tsunemoto

The basics

Quick Facts

Gender
Male
Birth1611
Death6 October 1671 (aged 60 years)
Family
Father:Ikeda Yoshitaka
Children:Ikeda Masachika
The details

Biography

池田 恒元(いけだ つねもと)は、江戸時代前期の大名。備前国児島藩主、のち播磨国山崎藩の初代藩主。恒元系池田家初代。

略歴

播磨姫路藩主・池田利隆の次男として誕生した。

慶安元年(1648年)、2万石を与えられて児島藩を立藩したが、慶安2年(1649年)から山崎藩主となる。

翌年から検地や治水工事、山林の保護、交通路の整備、村落制度の制定などを行なって藩政の確立に尽力した。承応元年(1652年)から城下町で火事が起こり、さらに疫病が流行するなどしたが、このときも万全の対応を行って領民を救う手腕を見せた、兄に劣らぬ名君であった。

寛文11年(1671年)9月4日、61歳で死去し、跡を長男の政周が継いだ。

和意谷池田家墓所六のお山の恒元の墓

系譜

  • 父:池田利隆(1584年 - 1616年)
  • 母:福正院(? - 1672年) - 鶴姫、徳川秀忠の養女、榊原康政の次女
  • 正室:玉子 - 松平定勝の娘
  • 室:上田氏
    • 長男:池田政周(1656年 - 1677年)
  • 生母不明の子女
    • 女子:板倉重良正室
    • 女子:蕃子 - 池田重教正室
    • 女子:竹中重長正室 - のち池田政弘室
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