Hitotsuyanagi Suenori
Japanese politician
Intro | Japanese politician | |
Places | Japan | |
was | Politician | |
Work field | Politics | |
Gender |
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Birth | 26 August 1850 | |
Death | 7 March 1922 (aged 71 years) | |
Star sign | Virgo |
一柳 末徳(ひとつやなぎ すえのり)は、江戸時代後期の大名。播磨国小野藩第11代(最後)の藩主。明治維新後に華族(子爵)となり、貴族院議員(子爵議員)を務めた。
丹波国綾部藩主・九鬼隆都の五男として誕生した。幼名は包五郎。
先代藩主・一柳末彦の養嗣子となり、文久3年(1863年)6月9日の末彦の隠居により家督を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では早くに新政府に帰順して北越戦争に出兵する。明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で上京する。その後は慶應義塾に入って英学を学んだ。
明治12年(1879年)には東京府芝区会議長となる。明治17年(1884年)の華族令で子爵となり、その後帝国博物館員を務めた。1890年(明治23年)7月10日、貴族院議員に就任し4期ほど務め、正三位勲三等に叙せられ、1920年(大正9年)1月17日に辞職した。大正11年(1922年)3月7日、兵庫県明石市大蔵谷本邸にて死去した。享年73。
長男の譲二は分家、二男の恵三は他家に養子に行った。継嗣とされた三男の剛は大正天皇の学友の一人であるが、家督相続前に死去。剛の長男の一柳末幸が家督を継ぎ、子爵となった。四男の喬は夭折。