Hino Eishi
Wife of Ashikaga Yoshimochi, the shogun
Intro | Wife of Ashikaga Yoshimochi, the shogun | ||||||
A.K.A. | Hino Eiko | ||||||
A.K.A. | Hino Eiko | ||||||
Places | Japan | ||||||
Gender |
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Birth | 1390 | ||||||
Death | 12 September 1431 (aged 41 years) | ||||||
Family |
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日野 栄子(ひの えいし、えいこ、明徳元年/元中7年(1390年) - 永享3年7月27日(1431年9月3日))は、室町時代中期の女性。日野重光の妹。室町幕府第4代将軍・足利義持の正室。同第5代将軍・足利義量の生母にあたる。
権大納言・日野資康の娘で、大納言・日野重光の妹にあたる。他に兄に日野豊光、姉に第3代将軍・足利義満の正室となった日野康子、叔母に日野業子がいる。足利義持の正室として嫁ぎ、応永14年7月24日(1407年8月27日)に義量を生んだ。
義持との夫婦仲は良好で、義持が奈良や伊勢参詣に赴く際には同伴している。栄子も神仏への信仰心が深く、伊勢神宮や熊野詣に何度も出かけた。義持と同じ趣味である田楽を好んだ。
義持の晩年には大方殿と呼ばれた。応永32年2月27日(1425年3月17日)に義量が19歳で早世し、義持も応永35年1月18日(1428年2月3日)に43歳で死去すると、1月19日に常徳院海門和尚を戒師として落髪し(『建内記』)、慈受院と号した。同日に宣下があり、従一位に叙された。6月に第6代将軍・足利義教の婚儀があり、その正室には重光の娘・日野宗子に決定するが、宗子は「不受の気色(不同意、同意しない)」を示したという。このため栄子が宗子を説得して嫁がせたと伝わる。
永享3年(1431年)7月27日に死去。享年42。戒名は竹庭大禅定尼浄賢。
将軍の義教が栄子の死に何らかの行動を取った記録は無い。
義持との間には義量以外にも2人ずつ男女(男子の名は不明、女子は大聖寺慈敬、喝食御所)がいたようだが、男子は早世し、女子はどうなったかは不明である。