Harumi Orikuchi

The basics

Quick Facts

wasPoet Tanka poet
Work fieldLiterature
Gender
Male
Birth28 February 1907
Death19 March 1945 (aged 38 years)
Star signPisces
Education
Kokugakuin University
The details

Biography

折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓:藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。

経歴

石川県羽咋郡一ノ宮村(現在の羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。生家は漢方の眼薬を伝える古い家柄であった。

石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1925年、國學院大學予科に入学し、折口信夫に師事。折口主宰の短歌結社「鳥船社」に入り、新派短歌を作る。1928年、同性愛者であった折口と同居開始。実質的な愛人としてである。

1930年、國學院大學文学部国文科卒業。

1934年、國學院大學講師となる。1936年には國學院大學教授に就任。

1943年、太平洋戦争で2度目の召集を受け、金沢歩兵聯隊に入営。1944年7月、陸軍少尉として硫黄島に着任。独立機関銃第2大隊第1中隊の小隊長となる。同じく1944年7月、折口信夫の養子として入籍。

独立機関銃第2大隊第1中隊は、硫黄島の戦い(1945年2月19日 - 1945年3月26日)の直前、2月17日に、アメリカ艦隊の激しい艦砲射撃により、陣地からの後退を余儀なくされ、2月23日ごろまでに全滅したとされる。独立機関銃第2大隊の総員288名のうち、硫黄島からの生還を果たしたのは1名のみであり、折口春洋の戦死の様子は不明。戦死により陸軍中尉に進級。

折口信夫は米軍上陸の2月17日を折口春洋の命日と定め、「南島忌」と名づけた。

折口信夫が建てた父子の墓は羽咋市にある。折口信夫の撰した墓碑銘「もつとも苦しき / たゝかひに / 最もくるしみ / 死にたる / むかしの陸軍中尉 / 折口 春洋 / ならびにその / 父 信夫の墓」 (/は改行、引用者が挿入)が刻まれている。

家族・親族

  • 兄 - 巽(眼科医)
  • 養父 - 折口信夫

歌集

  • 「鵠が音」(たずがね)、 折口信夫編纂(角川書店刊、昭和27年) 中公文庫で再刊(解説岡野弘彦、昭和53年)
1800首を収録。巻末には「島(硫黄島)の消息」と「追ひ書き」があり、硫黄島で詠んだ歌と手紙を収める。


脚注

注釈

出典

  1. ^ 梯 2013, 位置No. 612/712, ドキュメント2 三人の若き指揮官の肖像-■折口春洋 折口信夫の弟子にして恋人の死

関連項目

  • 硫黄島の戦い
  • 折口信夫
  • 池田弥三郎
  • 岡野弘彦
  • 加藤守雄
  • 角川源義
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