Harry Baxter Benninghoff
American cleric, missionary
Intro | American cleric, missionary | |||
Places | United States of America | |||
was | Cleric Missionary | |||
Work field | Religion | |||
Gender |
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Birth | 8 April 1874, Pennsylvania, USA | |||
Death | 24 April 1949 (aged 75 years) | |||
Star sign | Aries | |||
Education |
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ハリー・ベクスター・ベニンホフ(Harry Baxter Benninghoff、1874年4月8日 - 1949年4月24日)は、米国バプテスト教会のアメリカ人宣教師、教育者。早稲田奉仕園の創設者で、早稲田大学の講師を長らく務めた。東京女子大学初代理事長も務めた。
1874年4月8日、米国ペンシルベニア州タイタスビルで生まれる。
米国北部バブテストの宣教師としてビルマ(現・ミャンマー)へ伝道を行った後、シカゴ大学に学び、1907年(明治40年)卒業と同時に日本に派遣される。
ベニンホフは、1908年(明治41年)に早稲田大学の学生に請われて英語による聖書研究会『3Lクラブ』を東京・築地にあった自宅で始めた。 同年早稲田大学の創設者大隈重信に要請され、キリスト教に基く学生寮『友愛学舎』を早稲田鶴巻町に創設、奉仕園の礎となる活動が開始された。その後牛込弁天町に場所を移し、更に1920年(大正9年)現在の土地を購入して、友愛学舎のほか、スコットホール、スポーツ施設などを備えた学生センター『早稲田奉仕園』をつくる。1917年(大正6年)には、東京女子大学の初代理事長にも就任した。
長らく早稲田大学の講師も務め、また、日米間の相互理解と親善に努力するが、日米関係の悪化により1941年(昭和16年)志半ばにして帰国。再び日本に戻ることを願いながら、1949年(昭和24年)4月24日インディアナ州フランクリンで亡くなった。
1963年(昭和38年)に早稲田奉仕園内に関係者の寄附により銅像が建てられた。