Biography
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Quick Facts
Intro | Japanese seiyū | |
Places | Japan | |
is | Actor Voice actor Seiyū | |
Work field | Film, TV, Stage & Radio | |
Gender |
| |
Birth | 7 December 1930, Tokyo, Japan | |
Age | 94 years | |
Star sign | Sagittarius |
Biography
明石 一(あかし はじめ、1930年12月7日 - )は、日本の男性声優、俳優、ナレーター。別名:明石 速男(あかし はやお)。
東京府南多摩郡小宮町(現・東京都八王子市)出身。ラジオ東京放送劇団(後のTBS放送劇団)に所属していた。
人物
TBS放送劇団を経て、主にナレーターとして活躍していた。一時期、「明石速男」という名で活動していたこともあった。代表作に『エイトマン』のナレーションや『ジャングル大帝』のカモシカのトミーなどがある。やや早口なのが特徴。1969年8月、後述の闘争ハンスト事件を起こしたことが原因で活動を一切行わなくなった。
その後、1998年にNINTENDO64から発売された『ドラえもん2 のび太と光の神殿』では約29年ぶりに活動を再開したが、それ以来は再び活動を行っていない。現在の消息は不明である。
闘争ハンスト事件
1969年8月25日、当時TBS放送劇団の団員の一人でもあった明石が突然、TBS放送局の役員室のある四階のエレベーター前の一角に死装束を着て、頭に三角の額あてを巻いた姿で座り込み、線香を焚いてハンガー・ストライキを起こす事件があった。
きっかけは、TBSがかつて当局に長い間存在した、KR放送劇団というラジオ放送のための劇団を解散することにあった。その際に劇団員は契約を解除することになったが、交渉のなかで彼に対して、「契約解除に応ずればTBSの社員にする」という約束をした。ところが劇団が解散になっても、明石への社員化の約束が守られなかった。そこで彼はこのストライキを起こしたのであった。
初めはその異様さに驚いた人たちもいたが、事情を知るにつれて色々な職場の有志からの同情の声明文が張り出されるようになったり、労働組合としても放っておけなくなったりと、騒ぎが大きくなってしまった。
当時のTBSのプロデューサーだった村木良彦も、仲間と声明文を印刷して現場で配って読んでもらうなどという支援活動も三回ほどばかり行っていた。同年9月9日に明石は衰弱になり、ハンストにドクター・ストップがかかり病院に運ばれたため、この事件は終わることとなる。それと同時に引退することとなった。
出演作品
テレビドラマ
- 見合合戦(不明、KRテレビ)
- 誰かみている(1956年、KRテレビ)
- マンモスタワー(1958年、KRテレビ)
- 子供の四季 千羽鶴の祈り(1959年、KRテレビ)
- このなぞは私が解く 鬼火の峠(1959年、KRテレビ)
テレビアニメ
1963年
- エイトマン(ナレーター)
1965年
- ジャングル大帝(トミー)
1968年
- 巨人の星(天野先生)
1969年
- 巨人の星(鈴木章介)
劇場アニメ
1966年
- ジャングル大帝(トミー)
1969年
- 巨人の星 劇場版(天野先生)
吹き替え
海外ドラマ
- ミステリー・ゾーン(ホスト〈ロッド・サーリング、2代目〉)(TBS版)
海外アニメ
- ポパイ(ウィンピー)
人形劇
- おやゆび姫
- サンダーバード(記者B、テレビアナウンサー)
ラジオドラマ
1964年
- KRラジオ劇場 団子屋松吉
特撮
1968年
- 怪奇大作戦(第6 - 10・15話のナレーター)
ゲーム
1998年
- ドラえもん2 のび太と光の神殿(湯煙源五郎)