Guo Ying

Chinese person in the Ming dynasty
The basics

Quick Facts

IntroChinese person in the Ming dynasty
A.K.A.guosi Weixiang Wudinghou Guosi Rongguogong
A.K.A.guosi Weixiang Wudinghou Guosi Rongguogong
PlacesChina
was
Gender
Male
Birth1335
Death1403 (aged 68 years)
Family
Siblings:Consort Guo Ningfei Guo Decheng
Children:Guo Zhen Guo Ming
The details

Biography

郭 英(かく えい、1335年 - 1403年)は、元末明初の軍人。濠州の人。朱元璋に仕えて、明建国の功臣となった。兄の郭興も朱元璋に仕えて、明建国の功臣となった。妹は郭寧妃。孫娘は郭貴妃。曾孫娘は郭愛。

生涯

姓名郭英
時代元時代 - 明時代
生没年1335年(元統3年) - 1403年(永楽元年)
字・別名郭四(別名)
本貫・出身地濠州
職官驍騎衛千戸→指揮僉事→本衛指揮副使

→河南都指揮使→前軍都督府僉事→靖海将軍
→征虜右副将軍→征西副将軍

爵位武定侯(明)→営国公(明)
諡号威襄(明)
陣営・所属朱元璋
家族・一族父:郭山甫、兄:郭興、弟:郭徳成、妹:郭寧妃

子:郭鎮、郭銘、郭鏞他9人
女:9人

至正13年(1353年)、18歳のとき、朱元璋と行動を共にする。朱元璋の宿衛を守備し、信頼厚く、郭英を『郭四』と呼ぶほどであった。同年、定遠攻略に参加した24将の一人。滁州・和州・采石・太平攻略に参加した。

至正23年(1363年)、鄱陽湖の戦いに参加し、功績を上げる。

至正24年(1364年)、武昌攻略に参加した。陳理軍の陳同僉が長柄の矛で突入してきた。朱元璋は郭英を呼び、討ち取るよう命じた。郭英は陳同僉を討ち取り、朱元璋から戦袍を賜った。岳州を攻め、援軍を破った。廬州・襄陽を攻略した。功績により、驍騎衛千戸となった。淮安・濠州・安豊を攻略し、指揮僉事に進んだ。

洪武元年(1368年)、徐達に従い、北伐へ参加した。常遇春に従い、ココ・テムルを敗走させ、興州・大同を攻略した。奉元・鳳翔・鞏昌・慶陽を攻略し、賀宗哲を乱山で破って、本衛指揮副使に進んだ。安定に進み、チャガンノール(察罕脳児)を攻略した。寧州を攻略し、2千の敵兵を斬首した。河南都指揮使に進んだ。赴任する際、妹の郭寧妃に、白金20、馬20を餞別として贈った。民の流亡を抑え、法律を明らかにしたため、河南地域をよく治めた。

洪武9年(1376年)、北平に移った。

洪武13年(1380年)、召還されて前軍都督府僉事に進んだ。

洪武14年(1381年)、傅友徳に従って、雲南攻略に向かった。陳桓・胡海と共に赤水河を進んだ。雨が長く降り続け、河は氾濫した。郭英は筏を作り、夜に進軍した。敵陣営は驚き、壊乱した。敵将の烏撒・阿容らを捕らえた。曲靖・陸涼・越州・関索嶺・椅子寨を攻略した。大理を降し、金歯・広南にある山寨を攻略した。

洪武16年(1383年)、傅友徳に従って、蒙化・鄧川・金沙江・北勝・麗江を攻略した。これらの攻略戦で、斬首1万3千、捕虜2千、武具数万、船1千余りという戦果を得た。

洪武17年(1384年)、雲南地方を平定した功により、武定侯に封ぜられ、食禄2千5百石を賜った。

洪武18年(1385年)、靖海将軍となり、遼東地方を守備した。

洪武20年(1387年)、馮勝に従い、金山で哈出を降した。征虜右副将軍に進んだ。藍玉に従い、ブイル湖に至った。褒賞を賜り、故郷へ戻った。

洪武30年(1397年)、征西副将軍として耿炳文と共に陝西を守備した。反抗した高福興を討伐した。御史の裴承祖が、郭英は無断で家奴150人を養い、男女5人を殺したとして弾劾した。御史の張春らが、この問題を朱元璋に奏上し続けた。朱元璋は大臣らに命じて、この問題について議論させた。協議の結果、朱元璋はこの問題を許した。

建文元年(1399年)、靖難の変では建文帝側として、耿炳文・李景隆と共に戦ったが、功を上げることはなかった。靖難の変が終わると、免じられて屋敷へ戻った。

永楽元年(1403年)、67歳で亡くなった。営国公を贈られ、威襄と諡された。

人物・逸話

郭英
  • 書史に通じ、紀律を重んじる性格だった。
  • 忠謹をもって朱元璋に仕え、朱元璋も親しみを持って接していた。
  • 妹の郭寧妃は朱元璋の恩寵が厚かったが、功臣らはこれを怨むことはなかった。

関連項目

  • 郭勛 - 子の郭銘の末裔
The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 10 Feb 2024. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.