Fujiwara no Yoshifuchi
Japanese aristocrat in the early Heian period
Intro | Japanese aristocrat in the early Heian period | ||||||
A.K.A. | Fujiwara no Toshimitsu | ||||||
A.K.A. | Fujiwara no Toshimitsu | ||||||
Places | Japan | ||||||
is | Aristocrat | ||||||
Gender |
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Family |
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Positions Held |
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藤原 智泉(ふじわら の よしふち/としみつ)は、平安時代前期の貴族。藤原北家魚名流、越前守・藤原高房の子。官位は正五位下・播磨介。
元慶元年(877年)陽成天皇の大嘗会に際して、美濃守・源覚らとともに悠紀方の行事に任命される(この時の官職は従五位下・肥後介)。
のち、豊後守に遷って引き続き九州地方の地方官を務めるが、元慶3年(879年)智泉は「凡そ一国の興廃はただ官長に繋がる。庶務の理乱は佐職によるに非ず」として、任用官(現地の最高責任者である受領以外の国司)による郡司・書生等に対する懲戒権の剥奪を提言する。これは五位の介を適用外として法制化され、それまで国司の四等官が等しく保持していた懲戒権が官長(受領)に限定されるようになった。
元慶7年(883年)従五位上に昇叙され、のち時期は不明ながら正五位下・播磨介に叙任されている。
『日本三代実録』による。
『尊卑分脈』による。