Fujiwara no Tsunesue
Japanese court noble from the mid to late Heian period
Intro | Japanese court noble from the mid to late Heian period | |
Places | Japan | |
was | Noble | |
Gender |
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Birth | 1010 | |
Death | August 1086 (aged 76 years) | |
Family |
藤原 経季(ふじわら の つねすえ)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家小野宮流、権中納言・藤原経通の次男。官位は正二位・中納言。
後一条朝中期の万寿4年(1027年)従五位下・美作権守に叙任される。
長元2年(1029年)右兵衛佐次いで左近衛少将に任ぜられると、長元3年(1030年)従五位上、長元6年(1033年)正五位下、長元8年(1035年)従四位下、長暦2年(1038年)従四位上、長久2年(1041年) 正四位下、長久3年(1042年)左近衛権中将と後一条朝後半から後朱雀朝にかけて、近衛次将を務めながら順調に昇進した。
寛徳2年(1045年)後冷泉天皇が即位すると、経季は蔵人頭(頭中将)に補せられる。頭を2年足らず務めたのち、永承2年(1047年)従三位・参議に叙任されて公卿に列したが、この時に近衛中将・修理権大夫は解かれている。
議政官としてしばらくは、美作権守・備前権守・備中権守と地方官のみを兼帯し、この間の康平5年(1062年)正三位に昇叙されている。治暦3年(1067年)左兵衛督を兼ねると、後三条天皇が即位した治暦4年(1068年)権中納言に昇進するが、衛門督の兼帯は解かれている。
のち、治暦5年(1069年)従二位、延久3年(1071年)正二位と昇叙を重ね、白河朝の承暦4年(1080年)中納言に至る。永保2年(1082年)正月に子息の兼平を出雲守に任官させる代わりに辞職。同年6月1日に出家した。応徳3年(1086年)8月薨去。享年77。
従兄弟の藤原資房から散々に批判されるなど政治的能力に乏しく、権中納言任官も年労であった。
『公卿補任』による。