Fujinami Hirotada

Japanese court noble
The basics

Quick Facts

IntroJapanese court noble
PlacesJapan
isNoble
Gender
Male
Family
Father:Fujinami Kazutada
Children:Fujinami Mitsutada Utahashi
The details

Biography

藤波 寛忠(ふじなみ ひろただ)は、江戸時代後期の日本の公卿、神宮祭主。

生涯

神宮祭主藤波和忠の子として、宝暦9年(1759年)に生まれる。和忠にとって待望の男子ではあったものの、季忠を既に養子に取っていたため、季忠の養子となった。

明和4年(1767年)、9歳で叙爵される。明和8年12月9日(1772年1月13日)、13歳で元服、昇殿を許される。安永7年(1778年)、養父より譲られて祭主となる。天明3年(1783年)、25歳で従三位となり、公卿に列せられた。寛政6年3月13日(1794年4月12日)、大殿祭への毎度の勤仕の賞により、直衣を許された。

文政7年(1825年)、神祇大副を辞任したその6日後、66歳で薨去した。

官歴

系譜

  • 正室:中山砥豫子 - 中山愛親女
    • 男子:藤波光忠(1792 - 1844)
    • 男子:澤量行(1793 - 1823) - 澤久量養子
    • 男子:三室戸陳光(1805 - 1886) - 三室戸能光養子
    • 女子:歌橋(1807 - 1877) - 徳川家定乳母
    • 女子:藤子(? - 1883) - 岩倉、徳川家斉息女付上臈
    • 女子:庸子(? - 1858) - 裏松恭光室
    • 女子:實 - 万里小路正房室
    • 女子:某 - 広橋胤定室
    • 女子:某 - 裏辻、田安家上臈

脚注

注釈

  1. ^ 『公卿補任』光格天皇享和二年条。「三月廿三日喪父。」とあるが、実父和忠は明和2年(1766年)にすでに亡くなっており、養父季忠は文化10年(1813年)まで健在であるため、母の誤記だろう。
  2. ^ 養父・季忠が薨去したことによる。

出典

  1. ^ 霞会館 1996b, p. 251.
  2. ^ 霞会館 1996b, p. 699.
  3. ^ 霞会館 1996a, p. 260.
  4. ^ 霞会館 1996b, p. 658.
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